ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

『クォーク 第2版 素粒子物理学はどこまで進んできたか(南部陽一郎著)』の読後(読中)感 ― その2、本書における「空間の等方性」

 この本では素粒子物理学で用いられる対称性の概念について、第8章:対称性と保存則、および第17章:対称性の自然破綻、の2つの章で説明されています。つぎに最初の方から一部を引用します:

「一口に言えば、保存則は自然界におけるもろもろの対称性と密接に関係している。何か一つの対称性があれば、それによって一つの保存則が存在する、というのが一般の定理で、これはドイツの女流数学者のエミー・ネーターによって証明されたものである。ここでは数学に立ち入れないから、ごく直感的な解説にとどめておくが、まず運動量とエネルギーの保存則からはじめよう。

 これら保存則はそれぞれ空間と時間の等質性に由来するものとされる。等質性とは、どの一点をとっても他の点と同じ性質をもつということである。―  中略 ―

 同様にして角運動量の保存則は空間の等方性に関係する。等方性とは、一点のまわりでどちらの方に向きを変えても事情が変わらないことである。等質性と等方性は時間、空間のもつ根本的な対称性だとみなされるから、それらから導かれる保存則が絶対的なものとして重要視されるのは当然であろう。」

 

 振り返ってみれば、特定分野の専門としてであれ、一般教養としてであれ、あるいは工学的な必要としてであれ、物理学を学んだり研究したりするうえで、空間の等質性あるいは等方性というような概念に出くわすことは少ないのではないかと思います。一般向けの科学解説書ではなおさら目にする機会は少なく、科学史や科学論の文献でもあまり言及されることのない概念ではないでしょうか。私の個人的経験では、空間そのものについていえばニュートン力学でいう「絶対静止空間」という概念が大学の教養物理で出てきたのが最初かもしれません。等方性については、大学で結晶学の初歩を学んだ際に、結晶などの固体物質の光学的等方性という概念を光学的異方性との対概念として教わったのが最初であったように記憶しています。

 結晶学の場合、等方体異方体の区別は結晶構造の対称性に関係しているわけですが、南部陽一郎による「空間の等方性」も素粒子物理学で言われるところの対称性に関係しているわけで、ここでの等方性が結晶について言われる等方性と近い意味であることがわかります。ところが、結晶学における等方性異方性は、等方体または異方体と呼ばれる個体や液体の物質の性質を意味するのであり、空間の性質ではありません。それに対して、南部陽一郎空間の性質として等方的であるとし、対称性については「自然界におけるもろもろの対称性」と呼んでいる一方で、「等質性と等方性は時間、空間のもつ根本的な対称性」という表現において、時間、空間の持つ根本的な対称性という言い方で、時間と空間それぞれが対称性を持つことを意味しているものと見られます。つまり、等方性についても対称性についても、空間そのものの性質として述べているわけです。これは結晶学において物質の性質として定義されているのとは異なっています。ちなみに最初の引用では、数学者エミー・ネイターによって証明された対称性と保存則との関係が述べられていますがこれについては極めて抽象的で単に「自然界におけるもろもろ」と表現されています。

 

私の場合、科学分野において等方性の概念に遭遇したのは上述のとおり結晶学の初歩においてですが、結晶などの固体や液体物質の等方性ではなく空間等方性の概念に遭遇したのはずっと後年になって西暦2000年代以降、学生時代も遠い昔となり年齢も50代になってからで、カッシーラー著『シンボル形式の哲学、第二巻、神話的思考(木田 元訳)』においてでした。ただしその空間は無条件の単なる空間ではなく、思考空間としての幾何学空間であり、この等方的な幾何空間異方的な知覚空間、さらに同様に異方的な神話的空間などと対置されていたのです。さらに同書において等方的な幾何学空間異方的な知覚空間(視空間と触空間)はマッハからの引用であり、マッハはその点で高く評価されていたように思われます。そのマッハは有名な『感覚の分析』やその他の著作(野家啓一訳『時間と空間』)のなかで幾何学空間知覚空間について述べていますが、他に物理的空間という空間についても言及しています。そこで、次にマッハとカッシーラーによるこれらの空間についての記述を表にしてみます。 

  幾何学空間

 知覚空間

神話的空間 物理的空間
 カッシーラー  等方的  異方的  異方的
 マッハ:  等方的  異方的  異方的

次に南部陽一郎による空間の等方性についての記述を対置してみます。

  空間と時間
 南部陽一郎  等方的/対称性を持つ

本書で見られるところの、南部陽一郎による空間と時間の等方性と対称性については恐らく素粒子物理学を含めて、多くの理論物理学者に共有されているのではないかと思われます。では三者の違いはどこにあるのでしょうか?

端的に言ってマッハとカッシーラーに共通する幾何学空間と知覚空間はどちらも認識空間であるのに対し、現代の理論物理学でいう等方的な空間と時間は、しいて言えばマッハが異方的だと考える物理的空間に相当するような印象を受けます。ただしマッハは物理的空間に時間を含めてはいません。また、対称性を空間自体の性質とは考えていないように見られます。表に記載していませんが、マッハは幾何学空間において対称性ではなく相対性を論じています。一方、カッシーラーはそもそも物理的空間なるものを想定していないと思われます。

一般にマッハは相対性理論の先駆者とされており、アインシュタイン自身もそのように考えていたそうですが、マッハ自身は空間と時間を一緒にして等方的で対称性を持つというような考え方は受け入れられなかったのではないでしょうか。一般に相対性理論との関係で空間の等方性や対称性が問題にされるのはあまり聞いたことがありませんが、2つ目の表に見られる南部陽一郎による時間と空間の性質はそのまま相対性理論の前提になるように思われます。

もう一つ、後者すなわち空間と時間の等方性と対称性の概念にはマッハとカッシーラーで重要な意味と持っていた異方的な知覚空間が欠落しているという問題があります。知覚空間とはすなわち知覚の元になる視覚や触覚などの諸々の感覚に由来する空間で、カッシーラーはこの空間を「所与の空間」と呼んでいます。とすれば、等方的な幾何学空間はむしろ二次的というか派生的な空間であるということになるのではないでしょうか。

上記の議論はおそらく、冒頭の引用にあるエミー・ネイターの定理についてもいえるのではないか、と思います。定理の内容については、私には全く近づくことはできませんが。