嗅覚の持つ意味、重要性
味覚と嗅覚に関する話題がNY TimesとBBCで結構多く、10日と17日の2回にわたってこのブログで取上げた。日本でも1件ニュースがあったが(13日)、18日には再びNYTとBBCで人の嗅覚能力の高さに関する発見のニュースが現れた。
http://www.nytimes.com/2006/12/18/science/18sniff.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/health/6183379.stm
NYTの要旨はウェブサイトに書いたが、これは人の嗅覚能力は、実は犬のような動物に劣らないという、常識を覆す発見であった。このニュースに触発されたのであろうか、27日にはBBCに具体的な発見のニュースではないが、人間性における嗅覚の意味と重要性の再考を促すような記事が現れた。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/magazine/6199605.stm
この記事では様々な原因で嗅覚の全てまたは一部を失った人たちの人生がどのようなものであるかを報告している。また読者からのコメントも募集し、追加を続けている。それによると嗅覚の喪失は視覚や聴覚を失うことに匹敵するほどの喪失感を持つことが分かる。
この記事では嗅覚が大きな意味を持つフランスを舞台にした映画に言及し、ドラマ等の芸術的人生における嗅覚の重要性をも示唆している。
しかし、考えてみると、嗅覚が重要な意味を持つ芸術も結局は文学やドラマという、視覚や聴覚に訴える芸術として表現されなければならず、嗅覚の芸術というものはあるとしても文学のようなものになることがないのは、結局は言葉との関係に帰着するのであろう。
言葉は文字を通して視覚と結びつき、発声を通じて聴覚と結びついている。もちろん視覚は文字情報だけではなくイメージ一般の情報と結びつき、聴覚は音楽という、複雑な構造をもつ芸術に結びついている。
匂いは現在のところ、少なくとも言葉の芸術に直接結びつくことが出来ないでいる。このことが興味深く思われる。