ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

鏡像の意味論その16 ― 像、光、および物体の三者を区別すべきこと

前回記事では「Haig説、Morris説、および高野説を併せて批判する」という副題を掲げていましたが、Morris説についてはTakano(1998)中の引用との関連で言及した限りで批判したまでで、そこで全体としてのMorris説について批判にはなっていませんでした。た…

前回記事「鏡像の意味論その15」では「今回でひとまず一段落となりそうです」と書いてしまいましたが、ブログ『意味の周辺』と同様、「その16」を公開します。内容は27日の『意味の周辺』記事に多少の編集と追記を行ったものです。

鏡像の意味論その15 ― (光学的)虚像について ― Haig説、Morris説、および高野説を併せて批判する

鏡像の「像」、英語ではMirror Imageの「Image」とは何でしょうか? 幸いなことに、語源についてはいざ知らず、日本語の像と英語のimageはだいたい同じ意味で(専門用語としても一般用語としても)使われているようです。 ただ日本語の「像」は漢字の熟語と…

昨日に引き続き、3月15日にブログ『意味の周辺』で公開した「鏡像の意味論その15」を転載します。なお、今回の記事と関係がありますが、昨日公開済みの「その13」の一部を訂正して更新しています。鏡像の意味論シリーズは今回でひとまず一段落となりそうです…

鏡像の意味論その13およびその14 − 前回記事(鏡像の意味論その13)の捕捉(変換という言葉の危うさ)

前回記事に関して、タイトルの範囲からは多少それますが、若干の捕捉をします。冒頭に箇条書きで4つのキーポイントを掲げましたが、その3番目は次のとおりでした:● 鏡は光を反射するのであって、像を反射したり変換したりといったことはできない。これに…

鏡像の意味論その13 − 鏡像の意味論その12、平面パターンと文字の鏡映反転について ― Haig氏の理論に関連して

【今回のキーポイント】 ● 光(光線)は物理的な存在であるのに対して、像(イメージ)は物理的な存在ではない。像は知覚される内容(あるいは意味)である。 ● 人は記憶力で像を記憶したり、想像力と思考力で像を動かしたり、回転したり、あるいは見えない…

前回、先にブログ『意味の周辺』に掲載した「鏡像の意味論その12」を多少編集して掲載しましたが、その後同じ「その12」として2つの記事と捕捉を追加していますので、今回また多少編集した上で「その13」および「その14」として併せてこちらに転載します。ま…