ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

松尾博志著『電子立国日本を育てた男 八木秀次と独創者たち』の読後感

この本は1992年に発刊された頃に、多分新聞広告がきっかけで購入したもので、最初の方を途中まで読んでそのままになっていたものをもう二十年も過ぎた数日前にふとしたきっかけで思い出し、最初から読み始めたが、今回は読み出したらやめられず、比較的短時日で読み終えた。著者は科学技術の専門家ではなく、どちらかというと人間学的、歴史的、あるいは政治的視点で科学技術や産業の問題を扱うノンフィクションライターとでも言えるのだろうか。この本も形式的にも小説仕立てで身内の会話や独白まで克明に表現し、無遠慮とも言えるほどに登場人物の内面にまで踏み込んで書いている。そういう点、興味本位的な印象を持たれそうだが、やはり間違いなく科学と技術の問題を真摯に扱っていると言えるように思う。但し、現存するか実在した登場人物の評価あるいは名誉に関わる事実関係など、問題もあるようで、もし再刊されるとすれば、訂正を余儀なくされる部分もあるのではないかという気はする。

ところで当方は物理や電気の専門家では全くないが、それでも一か所、どう考えても不適切であると思われる箇所が一つあった。それは、交流が流れる電線から電波が発生することを、「電子が電線の外へ飛び出す」と表現している箇所である。これはどう考えても比喩の範囲を超えた間違いであると指摘せざるを得ない。わかりやすく説明をしたいという意図でこういう表現になったものと思われるが、いまや電波については誰でも、理論的に説明はできなくともそれが何であるかは感覚的に知っていると言えるのではないか。つまり実用的に知っている。原子とか、イオンとか、そういう概念にしてもそれが何であるか説明できなくてもだれもそれが何であるかは解っているものとして話をしている。わかっていると言えばだれでもわかっているし、わかっていないと言えばだれも本当のことはわからない。専門家とはただ認識のレベルと使い方のレベルが違うだけの話だろう。こういう時代なのだから単に「交流が流れる電線からは電波が発生する」と言うだけで問題はないのだ。わざわざ余計な説明を加える必要はないと思う。

もちろん中間子理論となれば話は別である。こういう問題となれば、もう純然たる比喩の世界になる。科学者が素人に話す場合はもちろん、科学者同士で説明する場合も比喩になる。本当の専門家同士であれば数式による筆談になってしまうことは、この本に描かれたように湯川秀樹朝永振一郎が寒い冬の日の学校の校庭の地面に、長時間にわたって木の棒で延々と数式をつらねて対話していた話などからも伺うことができる。とはいえ、数式だけで会話が成立するはずはなく、言葉は絶対に必要である。そこにも何らかの比喩は欠くことができないだろう。湯川自身が中間子理論をキャッチボールに例えて説明したわけで、素人としてはそれをそのまま受け取るしか他はない。いくら素人であっても素粒子が手足を動かしてキャッチボールをする人間と同じではないこと、中間子がゴムのボールと同じではないことは分かり過ぎるほど分かっているはずで、当然、湯川の説明も比喩であることを十分承知の上で聞いている。そうしてその比喩で核力なり交換力なりが理解できるかと言えば普通の人はまず理解できない。私自身がそうであるし、本書の著者もそうだろう。それはもう、どうすることもできない。それ以上を知りたければ基礎から専門的に勉強するほかはあるまい。よく知らないことは率直に聞くべきだという考え方があるが、それも問題によりけりで、単純に聞けばよいという話でないのは当然である。

とまあこういう調子で、著者は湯川の頭の中で中間子理論が形成されてゆく過程を湯川の独白、朝永との対話、夫人との会話、その他もろもろの人間関係と日常の挿話の中で描いてゆく。著者がどこまで詳しく関係者に取材をしたか、どこまで資料にあたったのかは知る由もないが、相当にリアリティーと説得力が感じられることは確かである。著者の当初の計画は「湯川秀樹朝永振一郎の、生涯にわたる交錯を書いてみたいと思った」ということも頷ける。

湯川秀樹に関する記述がこの本のかなりの部分を占めているが、とはいっても数分の一であり、あくまで八木秀次が主役であることに変わりはなく、さらに関わりのあった多くの電子工学系の科学者の個性と歴史が巧みに捉えられている。とは言っても表現手法の性格から言っても多少の逸脱がある可能性は否定できなさそうではあるけれども。「科学者の人間性の伝記を書きたかったのである。」という著者の熱意は十分に感じられるし、共感も持てる。またその意図はかなり優れて成就しているものと見える。

まあ常識的で、著者自身の言葉とも重なる表現になるが、この本は科学と人生、人間性、技術、さらには社会、歴史、特に明治中期から昭和の広範に至るまでの日本の歴史との関わりを捉えようとした作品であると言える。物理学を究極とする科学自体は可能な限り人間的なものを排除してゆく思考方法ではあるけれども、やはりそれ自体は人間の生み出したものであり、カッシーラーの定式で言えば、シンボルを繰る人間が到達した一つの、最高度のシンボル形式なのだから、科学者と技術者の人間性を追求し、描き、表現するというこの著作のような仕事は大いに評価されるべきものだと思う。蛇足かもしれないが、「電子立国 日本を育てた男」といったタイトルは、理解できないこともないが、個人的にはあまり良いとは思えない。現実にはたいてい逆になるが、特にノンフィクションの場合、タイトルは内容以上に具体的で客観的な表現にすべきではないだろうか。