ブログ「意味の周辺」に掲載済みの鏡像問題関連記事に追加、一部変更、訂正、その他、多少編集して再録します。
【今回の要点】
- 鏡像を擬人化することで語りうる事柄は、鏡像の問題に固有の問題ではない。
- 知覚心理学で使われている「固有座標系」などの概念は物体や空間の擬人化に由来する。
- 固有座標系の概念に関連する問題は鏡像の問題、+特に鏡映反転の問題に特有の、あるいはあらゆる鏡映反転に共通する問題ではない。
- 基本的に上下・前後・左右の問題は、鏡像に固有の問題ではない。
鏡像問題との関連で擬人化の問題については何度か言及したことがあります。特に高野説、つまり高野陽太郎先生の多重プロセス理論の「視点反転」、今回参照している Takano (1998) におけるType I で鏡像の Viewpoint(視点)に基づいた説明、つまり、自分の鏡像を見ている場合、鏡像自身の左右は人物としての鏡像自身の視点で鏡像氏自身の右手と左手を見ることで判断するので、観察者自信の左右とは方向が逆になっているという考え方ですが、これは明らかに鏡像を擬人化した説明になっています。
擬人化だから直ちに間違いであるとか、良くないというわけではありませんが、擬人化が持つ意味をよく考えてみる必要があるでしょう。鏡像を擬人化することはすなわち鏡像を現実の人物に見立てることです。つまり、逆に考えると、鏡像を擬人化することで語ることが可能な事柄は、現実の人物についても該当する事柄であるということになります。 要するに、観察者が現実の他の人物と対面している場合に、対面する相手自身の左右を判断する場合と同じ考え方であるということです。もちろん、これだけで鏡映反転を説明するには不都合なので、高野先生は光学的な説明を付加的な条件として加味しています。次はTakano (1998)、Psychonomic bulletin & Review からの引用です。
"To explain the Type I reversal precisely, the optical transformation by the mirror has to be taken into account. As stated earlier, the mirror reverses an optical layout along an axis perpendicular to its surface."
この条件を「光学的変形(変換)」と呼ぶのには賛成できませんが、光学的な条件が関与していることには間違いありません。むしろこちらの条件が鏡映反転の中心的なメカニズムであるはずですが、高野先生はこちらの条件を副次的な条件のように考え、それ以上は深く掘り下げて分析することなく、「光学的変換」という一言で済ませ、その後はむしろ「視点反転」について込み入った分析を開始し、そこから「固有座標系」という概念を導入しています。
一部の知覚心理学者によって ― 必ずしも鏡像の問題について考察するためではなく ― 導入されていた「固有座標系」の概念を使用することで、高野先生はそれ以降、Type II 以後の鏡映反転について長く複雑な議論を展開しています。
この、固有座標系を使った解析は鏡像問題において、高野先生以外の何人かの論者で使用されています。しかし全く使用していない論文もあります。ただ、日本語では「固有座標系」としてほぼ統一的に呼ばれていますが、英文の論文ではかなりいろいろな用語が使用されていて、定義が極めてあいまいなのです。例えば、「object axis system」「frame of reference」、「intrinsic reference system」、「internal reference system」、「intrinsic coordinate system」、「viewer centered coordinate system」、「object centered coordinate system」といった具合です。Ittelson (1991) ではさらに流動的で、「reference systems or axes」、「physical system」、「object axes」といった具合で、systemとaxisが同じような意味で使用され、これらのすべてを単純に「固有座標系」あるいは「〜座標系」と置き換えることは無理でしょう。 ちなみにIttelson (1991) では「coordinate system」は他とは区別されているようです。
つまるところ、固有座標系の類の概念で論議されているのは、鏡像問題に限らず、観察者自身以外の人物や道具などの物体あるいは対象の固有の上下・前後・左右を決定する基準なのです。ここでまた擬人化が問題になるのは、物体の場合はその物体固有の上下・前後・左右を決めるだけなのですが、人間の場合、身体の上下・前後・左右だけではなく、本人が知覚する右方や左方などの空間的な方向感が問題になることです。言わば彼の人物の身体外部の空間についても上下・前後・左右が問題になるわけです。普通はこういう感覚は物体に適用されることはありません。物体に適用されたとすれば物体が擬人化されています。自動車など乗り物の場合はこういう擬人化がありそうです。
固有座標系に類する概念は、人間が知覚する方向感覚が物体にまで擬人的に適用された結果、ひいては空間そのものまで擬人化された結果であるということができます。鏡映反転の場合は 2つの像の形状の差異、相対的な逆転を問題にしています。そこで鏡像は人間の鏡像であってもあくまで像であって感覚や知覚を持つわけではなく、道具などの物体と同様にそれ自身の上下・前後・左右などが決まればよいのであって、像の外側の空間はどうでもよいのです。また形状の逆転は相対的な関係であるので、逆転が認知された軸方向が単に左右の軸方向であるかどうかがわかればよく、どちらが右でどちらが左かは関係ないのです。
そのためか、固有座標系の概念を用いた理論は途中で挫折、あるいは諦めているか混乱している場合が多く、少なくとも決定的な条件とは考えられません。個人的には座標軸として上下・前後・左右を用いるような座標系の概念自体に疑問を持っています。
【基本的に上下・前後・左右のに関係する問題は鏡像に固有の問題ではない】
鏡映反転の問題がいまだに未解決であるといわれるのは、それが左右逆転の謎として提起され、左右逆転の謎が解明されない限り鏡映反転あるいは鏡像問題が解決したとはみなされないとされていることが大きく関係していると考えられます。また自己鏡像の反転の問題として提起されることも多かったことも関係しています。しかし、あらゆる場合に適用される鏡映反転の問題自体は対掌体の見え方の問題である点で、ある意味、もう結論がでているともいえます。鏡映反転全体に共通するメカニズムは対掌体である鏡映対の見え方に還元されるのであり、逆転して見える方向は左右に限らないことが早くから知られています。ですから、鏡映反転を包括的に記述するには左右逆転にこだわることは諦める必要があるのです。また自己鏡像の場合は自己鏡像の認知プロセスが必要であり、たいていは他者鏡像の鏡映反転から類推できるものである以上、他者の鏡映反転を基礎とすべきであり、他者の鏡映反転に限ればもうすでに大枠では明らかになっているといっても差し支えありません。
とはいえ、なぜ上下や前後ではなく左右が逆転して見える場合が多いのかという問題は依然として気になる重要な問題であることには相違ありません。それは鏡映反転に固有の問題を離れた空間認知の問題が反映されているのであり、鏡像問題において集約的というか、特殊で極端な形になって表れていると言えます。ですから、鏡映反転と鏡像問題を区別することも一つの利点になると考えます。さらに鏡像問題を超えた空間認知の問題にも寄与できる可能性が多いのであり、開かれた問題として今後とも大いに議論を展開すべきであり、すでに自身の理論で鏡像問題が決着していると考える著者も少なくはないかもしれませんが、しかしそうだとすれば、それは偏狭な態度というべきでしょう。
(2017年7月30日 田中潤一)