ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

科学の信頼性

科学の、或いは科学的研究成果、学説、あるいは科学者の言説にたいする信頼性についての目立った記事が二つほど目にとまった。一つはNYタイムズの記事で昨今の、特定の遺伝子と特定の病気との関係に関しての相次ぐ発見報告に対して疑問を呈した記事である。
Genetic Tests Offer Promise, but Raise Questions, Too http://www.nytimes.com/2007/02/18/business/yourmoney/18reframe.html
要するにこういう報告を見ると、特定の遺伝子と特定の病気とが一対一の対応関係を持っているかのような印象を受けるが、実態はもっと複雑で分からない部分が多いのだということであろう。これは確かに重要なことであると思える。

もう一つの記事はmsn毎日の連載「理系白書」3/1の記事 理系白書’07:第1部 「科学と非科学/5 過熱、脳ブーム」である。http://www.mainichi-msn.co.jp/science/kagaku/news/20070301ddm016070202000c.html
これは森昭雄・日本大教授(脳神経科学)が提唱した、「ゲーム脳」仮説に関するもので、これが一部の専門家からニセ科学として批判されているとのことである。

一般に脳の機能に関する諸説には不信感を抱かせるものが多いように思う。一つには始めに触れたNYタイムズ記事で扱われている問題と共通する面があるように思われる。ある特定の部分或いはある特定の現象と、それと因果関係があると思われる特定の病気や性格などとに一対一の対応関係をつけることが多いように見受けられるからである。こういう一対一の対応関係は物事を分かりやすくするが、そこに無理な単純化が潜んでいるということではないだろうか。

ただ、この記事の場合、批判する側がこの説を「ニセ科学」だと言って批判しているとの事だけれども、このニセ科学という、最近良く使われる定義あるいはラベリングには疑問をもっている。「ゲーム脳」仮説というように、仮説として提唱されているのであれば仮説として、そこに不備があればそこを指摘すればよいことであり、「ニセ科学」などというあいまいな定義をことさら持ち出す必用が何故あるのだろうか。

ニセ科学あるいは似非科学といった表現はもともと多少感情的な文脈で使われた比喩的な表現だったのではないだろうか、と私は想像している。それをその場かぎりの比喩的表現としてではなく、あたかもニセ科学あるいは疑似科学という分野があるかのようなニュアンスで使用されることが多くなってきているように思う。科学という概念自体定義するのも理解するのも簡単ではない所へ持ってきてニセ科学とか疑似科学という定義をもってくるのは混乱を増幅するのみでは無いだろうか。どのような学説でも、或いは学説という名に値しないと思われるようなものであっても、批判するのであれば個々の言説に就いてその信頼性を論ずればよいのであって、この様な定義のあいまいな命名で多くの学説、或いは言説をひっくるめて表現するのは、混乱と誤解の元であって、知識の進歩を妨げるものであると思う。