ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

変化、変動と人為 ― 最近の温暖化記事

科学欄記事としての地球温暖化問題の記事は、日本の新聞サイトでは余り目立った記事が見られなくなったようだ。ニューヨークタイムズでは、いつの間にか環境レポーターによるドットアースというブログがサイエンス記事のリンクから消えていた。このコラムではLevkin氏という環境レポーターが連日のようにCO2温暖化論を中心にレポートを掲載していたのだが。断片的にしか読んではいなかったが、量的にはそれなりに充実したブログだった。トップページのblogリンクを開いてもブログのリストから消えている。何時消えたのだろうかと思い、保存してあった記事からリンクをたどると「Opinion」欄にこのドットアースのコーナーがあった。過去のURLはそのまま残っていてブログ形式も変わらず、コメントも受け付けている。この移動には何らかの意味がありそうだがどういう意味かはよく分からない。以前はトップページにも可成り目立つ大きさでリンクされていたように記憶している。そしてブログというカテゴリーになっていたように思うのだが。すくなくとも可成り目立たなくなったことは確かである。オピニオンの配下には、Editorials、Columnists、Contributors、Letters、The public editor、Global opinion といったカテゴリーが並んでいる。このオピニオン欄の右下隅にあり、以前に比べて可成り目立たない位置に置かれていることは確かである。

気がつけば右にAbout Dot Earth というライターの写真入りコラムがあり、それにはこのブログが最近になって
News side of the Times から Opinion section に移ったことが報告され、移動した日の記事がリンクされている。その移動日の記事ではこのブログがOpinion side of The New York Times に移動したと書かれているが、なぜ移動したのかは書かれていない。ちょっと問題からそれるが、このことからニューヨークタイムズにはニュースサイドとオピニオンサイドという2つのサイドがあるとされていることが分かる。これはこれで興味深いものがある。この中でLevkin氏は自らをFreelance bogger と規定し、As a freelance blogger, I will say what I think in ways I could not when I was a Times reporter. ”と言っている所からみると、どうやらニューヨークタイムズ社の所属ではなくなったということのようだ。この記事では改めて著者のポリシーを述べたようなものだが、引き続き、匿名ではない限りあらゆる見解のコメントを受け付けると表明している。
この人は一度、記事の中で、自分は地球温暖化説の方に賭ける、と言明していたのを記憶している(単に地球温暖化説と言ったのかCO2温暖化説と言ったのかまた別の表現で言ったのかは記憶していないが、また賭けると言っても結果が判明した時点で具体的にどうするのかと言うようなことまでは書いていなかったが)。こういう次第で、改めて少々このコラムをチェックしてみた。

Science 欄からは外されたが、記事をざっと見るだけでScience とか Scientist といった用語が頻出し、このドットアースという表題で扱われている環境問題、グローバルウォーミングを含めた環境問題が科学問題であること強調していることは従来と変わらない。だいたい英米の記事ではサイエンチスト、科学者と言う用語が日本に比べて非常によく使われる様に思われる。日本では研究者とか、単に何々学者とか専門家などと呼ばれるような場合も、また技術者と呼ばれると思われるような場合でもサイエンチストという言う言葉が使われることが多いようだ。日常語としてはそうでもないかも知れないが、メディアではこの傾向があるように思われる。やはり日本よりも英米の方が科学の権威が大きいのだろうか。

という次第で引き続きCO2温暖化説側に立って環境問題のレポートと議論を続けていることが分かった。以前はこのブログの記事の中からもメインの科学欄本体の記事としてリストアップされることがあり、またこのブログをチェックしていたのはその場合だけであった。今後はどうなるのだろうか。当ブログの趣旨としては科学欄の記事から適当に取り上げて話題にすることにしていることでもあり、今後は更に見る機会が無くなるので、少しばかり印象をまとめてみた。

例えば例のクライメートゲート事件に関する記事East Anglia’s Climate Lessonsでは冒頭付近で次の様な結論が述べられる ― 「Lessons are emerging as a series of inquiries draws toward an end, leaving climate science bruised, but better off in the long run.
」。続いてその「教訓」が列挙されるのであるが、次の様な表現が目につく。

「One lesson is that anyone hoping to up-end decades of research pointing to a growing human influence on the climate by challenging a single batch of studies (in this case efforts to chart past temperatures using indirect clues like tree rings) is almost surely on a fool’s errand. 」

これはまた政治論議のような、感情的とも言える論争的な表現であり、内容的にも科学的な現実分析はなく、ただ委員会の決定をそのまま受け入れた上で主観的な解釈を行っているだけという印象である。まさにScience ではなくOpinion そのものであり、サイエンス欄よりもオピニオン欄に相応しいという印象である。

全体的に科学論、技術論、方法論、あるいは解釈論、といった抽象的な議論が多いように思われる。政治や社会記事と同じである。だいたい環境科学自体が単純に自然科学とは言えないし、つきつめればあらゆる自然科学分野についても純粋な自然科学はあり得ないとも言える訳で、これは仕方のないことではある。しかし、こういう抽象度の高い問題にフォーカスを移動すればするほど際限なく論争を続けることができるようになる。

また一方、具体的な表現と、より抽象的な表現を併存させ、絶えず両者を行き来する中に問題の軌道が移動してしまう場合も多々ある。これはこのLevkin氏のブログに限らず温暖化問題の議論一般に言えることでもある。具体的にはCO2温暖化説と気候変化ないし変動とを並置する議論、そしてCO2排出と人為的原因とを並置する議論である。要するに非常に広いバイパスを用意するようなものである。

昨日からここまで書き進めてきたところで改めてNYタイムズ科学欄トップを見ると、新しくGreen というタイトルのブログが出現していた。今月の21日に誕生している。経緯を読んで見ると、これまでGreen Inc. blog という名前で18か月間続けてきたものをGreen と改名し、より広い問題を取り上げる事になったようだ(a Broader Mission とある)。A Blog About Eneregy and the Environment という副表題が掲げられている。署名はあるが、文面の主語が We となっているように、前のLevkin 氏のような個人ブログではなく、本体の記事の一部と見た方が良さそうである。政治経済を含め環境問題全般を扱うことになっている。また特にCO2温暖化説を支持することを表明することもしていない。もちろん現実には、また個別の記事ではCO2温暖化説を前提とした内容になるのは避けられないと思われるにしても、どうやら先のバイパスの例を使えば、より広いバイパスの方に移動しつつある、というか、さらにバイパスを広げて従来の道をその中に含めてしまうということかも知れない。

一方、
BBCニュースの科学欄では引き続きこの問題を扱った記事を数多く継続して掲載しているが、その傾向は当然、変化してきているようだ。この間、太陽黒点の周期の変動が目立ったことがあったり、最近ではイギリスを舞台に例のクライメートゲート事件が起きたり、この冬、特にイギリスや北ヨーロッパで低温が続いたり、またコペンハーゲンで国際会議があったり、と、この地域を中心に色々問題が起きたことも理由に含まれると思われるが、やはり一貫して、多様な問題を継続して追い続けるという、BBC科学ニュースの性格というか、ポリシーにも関係しているように思われるし温暖化問題の記事の多さも突出していたこともある。

Low solar activity link to cold UK winters
この記事は太陽活動とイギリスのこの冬の季候との関係に触れたもので、専門家の見解を元にBBCのレポーターが書いた記事であるが、太陽活動低下が話題になった年の後に続いてイギリスを含めたヨーロッパのこの冬が特に低温であったため、こういう記事が書かれたのだろう。

これによると太陽黒点の減少とこの冬のヨーロッパに限定した気温との関係を問題にしている。具体的にはこの冬のあいだ、太陽黒点の減少と大気のコンディションが、ヨーロッパに向かう暖かい西風をブロックしたのが原因だという仮説を含んだ説明である。そしてこの減少は地域的なものであり、総体的な地球温暖化のトレンドには影響を与えていないという事が冒頭から強調されている。「But they added that the phenomenon only affected a limited region and would not alter the overall global warming trend.」。

その理論によると、太陽活動の低下によって紫外線量が赤道付近で低下し、赤道付近の成層圏でわずかに温度を下げたことが原因となってジェット気流の流れを変化させ、それがヨーロッパに向かう西風をブロックし、冷たい東風が入り込んだということのようだ。一応素人に納得できるようなメカニズムだと思う。ただ、太陽活動の低下の影響がジェット気流の流れを変えるだけであることが強調されているように思われる。太陽活動の低下によって地球に向けて放射されるエネルギー全体の低下については言及されることがない。この冬、そして今後数十年間にわたって特にヨーロッパにおける冬季の地域的寒冷化が警告されているが、IPCCによるCO2温暖化説によればそういう要素も打ち消してしまうほどの深刻な温度上昇の予想ではなかっただろうか。この記事ではこの冬、ヨーロッパでは過去14番目に寒かったが、地球全体では6番目の暖かさであっとことが付け加えられている。ということは2000年頃以降、温暖化が停止しているという傾向に変わりないことを示しているとも言える。

この記事でも触れているように、太陽活動の変動は数十年単位の比較的長期的な変動であり、同時にその影響は地球全体をカバーするマクロなデータとして現れてくるはずである。ヨーロッパ地域の特殊性はそれとして、一方で「総体的な地球温暖化のトレンド」について言及するのであればその点についても地球規模のデータで説明して貰いたいものである。

この記事では長期的な太陽活動のトレンドについて一定の説明が加えられている。これは、これまでのBBC科学ニュース欄では殆ど取り上げられなかったことである。昨年あたりまでは太陽活動について言及される場合も11年周期について触れられるだけか、大して説明もないまま温暖化への寄与は殆どないと簡単に切り捨てられるか、あるいは宇宙線仮説という、まだメカニズムが証明されていない理論に言及されるだけであったように記憶している。それがこの記事ではある程度長期的な、数十年以上におよぶサイクルと季候との関係が言及されるようになってきている。この記事で言及されている太陽活動に相当するデータに併せ、それに照応する世界平均気温の経年変化データ、それに大気中CO2濃度の経年変化のグラフを合わせれば太陽活動主要原因説の理論で、マクロ的にきれいに説明されるはずである。

ところで大気中CO2濃度といえば最近、なぜか現在の実測データについて言及されることが少ないように思われる。ということは多くの人が当然のように、相変わらず人類が排出しし続けることによって従来と同じ割合で増加し続けていると思っているのではあるまいか。しかし気象庁のホームページで更新されているグラフ(http://ds.data.jma.go.jp/ghg/kanshi/ghgp/21co2.html)を見れば、まだ減少とまでは行かないが、どうも今年あたりで頭打ちになり、ピークにさしかかっているようにも見えるのだがどうだろうか。太陽活動に数年遅れて世界平均気温が追随し、さらに1年ほどおくれてCO2濃度が追随変化するという太陽活動説の理論が実証されつつあるように見えるのだが。


全般的に、世界的に、地球温暖化の議論では「地球温暖化」という言葉と並行的に「気候変化」あるいは「気候変動」という言葉が初期から使用されてきたが、最近になって日本では「気候変動」、英語圏では「Climate Change」が地球温暖化、Global Warming に比べて頻繁に使用される傾向が強くなってきたように思われる。日本語で「気候変化」ではなく「気候変動」が用いられるのは語感によるものだろうか。Change は普通「変動」とは訳さない。それはともかく、上述のように「地球温暖化」に対して「気候変動」が、「温暖化ガス」に対して「人為的要因」が議論の道筋におけるバイパスのように利用されてきたようなところがある。それが最近になってバイパスが本道になりつつあるのではないか、という気もする。バイパスが広がり、元の本道を取り込むことになるのか。それならそれで良いのだが、正しい形で、欺瞞的構造を残さずに統合されることを望むばかりである。