ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

「眼の誕生 ― カンブリア紀大進化の謎を解く」を読んで

日本の有名紙サイトおよびBBCニュースとNYタイムズの科学記事から題材を見つけて記事を書くという、当初の目標は昨年の春ころまでは辛うじてなんとか続けてきたのですが、それ以後は一種のスランプなのか、ついには新聞サイトの記事をチェックすることもなくなってしまい、現在に至っています。近いうちに再開したいと思っています。


最近の、科学ニュースではありませんが、先日、表題の本(アンドリュー・パーカー著、渡辺政隆|今西康子訳、草思社)を読み終えました。こういう文庫本でもない科学の単行本を買って読むのは久しぶりです。テーマである進化の問題にはもちろん大いに興味がありますが、加えて表題から分かるとおり、視覚の問題が切り口になっていることからさらに興味をそそられました。書店で平積みになっているのが目について購入したのですが、新刊ではなく2006年に翻訳が出版されたもので、書店に積まれていたのは2009年9月の第5刷りでした。原書が出たのが2003年ですから、もう可成り前という事になります。という事でニュース性という点でかなり時代に遅れてしまいましたが、今回、興味深く読了しました。

壮大なテーマに関わる自らの研究を、一般読者をも対象にその分野の基礎知識の解説から説き起こし、包括的に解説した素晴らしい本で、名著だと思います。感想をまとめたいと思いましたが、短いニュース記事とは違い、こういう内容の豊富な本について、それはそう容易なことではありません。それにはもっと何度も精読しなければならないでしょうし、他の資料を読んで基礎知識を深めることも必要になるだろうし、何よりも進化論やダーウィン主義自体に関する疑問や問題も吹き出してきたりすればもう際限がありません。そこで断片的に、思ったことを二点、簡単に感想を綴ってみることにしました。その二点というのは「カンブリア大爆発」という概念自体についてと、もう一つは視覚の、つまり眼の進化という問題についてです。

実は、私はかつて大学で地質鉱物学を専攻したのですが、当時、古生物学専門の先生が在籍しなかったために古生物学の授業が受けられませんでした。一応簡単な教科書らしき本や系統分類学といった小さな本を購入して読みかけては見ましたが、どうしても読み進むことができなかったりで殆ど身につかず終いでした。特に生物の系統分類の「門」というのは一般人には馴染みがない概念だと思いますが、この本のテーマであるカンブリア紀の爆発にはその「門」に関わる部分が多いようです。

その門についてですが、この本によると、「カンブリア紀の爆発とは、あくまでもすべての動物門で突如として硬い殻が進化した出来事であって、すべての動物門の体内の体制はすでにととのっていたというものである。公正を期すためにいえば、過去の科学者がカンブリア紀の爆発に間違った解釈をしていたのは、けっして彼らの落ち度ではない。体内の体制がどうだったかを教えてくれる遺伝的証拠が得られたのはつい最近のことだからである。」と書かれています。これについては、ウィキペディアを調べてみると、次のように書かれています。「その後の分子遺伝学の進歩から遺伝子の爆発的多様化はカンブリア爆発のおよそ3億年前に起こっていることが分かり、カンブリア初期に短期間に大進化が起こったわけではないとの考え方が主流となった。すなわちカンブリア爆発は「化石記録の」爆発的多様化であり、必ずしも進化的な爆発を意味しない。」 ― これはこの本の記述内容と大体あっているようですが、ウィキペディアの記述をみればこの本の著者の定義も現在のところ個人的な推定にとどまっているようでもあります。

このカンブリア紀の爆発が「謎」とされてきたこと、そして著者による「光スイッチ説」がその解答になるというのがこの本の内容ですが、このカンブリア紀の爆発という謎については、先ほど述べたような事情で、過去に耳にしたり読んだりしたかどうかは記憶になく、少なくとも現在、改めて知った次第なのです。

(後から気付いたことで、まあ余談ですが、テレビ東京で放送している「カンブリア宮殿」という番組、たまに見る事はありましたが、何故カンブリア宮殿というタイトルなのかということもまるで気がついていなかった次第なのです。調べて見ると2006年の4月にこの番組が始まっています。この本の初刷りが2006年の3月ですから、村上龍さんはこの本を読まれたのでしょうか。私がこのブログを始めたのは2006年の年末でしたが、この年のはじめ頃まで、あまりこのブログのテーマになるような科学の問題を考えたりすることもなく、本を購入して読んだりすることからも遠ざかっていました)

私自身の大学当時教えられたり考えたことの多くは忘れていますので、もしかしたら当時もそれなりに興味を持ったかも知れませんが、しかし今の眼で「カンブリア紀の大進化」とか「カンブリア紀の爆発」といった言葉を眼にすると、何故か非常に新鮮な印象なのです。カンブリア紀以降の地層からは多くの化石が見つかるのに対してそれ以前の地層からは化石らしきものが見つからないことから地質時代カンブリア紀以後と以前に分け、カンブリア紀以前をプレカンブリア、プレカンと呼ぶことや、プレカン地層にも一部に生物化石らしきものがあることなどは当然知っていましたが、カンブリア爆発という言葉は何故か記憶になかったのです。


2007年以来、昨年あたりまでこのブログとの関わりでニュースサイトの科学欄を大雑把に見てきましたが、古生物学や進化生物学の記事は科学記事の中でも結構多い方だと思います。特に恐竜関連は一般にも人気があるし、、恐竜と鳥類との関係、あるいは人類の祖先の問題では話題性もあって多くの記事が現れます。一方、一般の生物学の記事はさらに多く、科学記事の中では最も多いのが生物学関連でしょう。化石や古生物学も、地質学的な側面よりも生物進化との関わりで取り扱われていることがわかります。そしてこれは特に英米の記事について言えることですが、殆どすべての記事でダーウィンの名前と自然淘汰説への言及があると言っても過言ではないようです。これは人類学や心理学の記事でもそのような傾向があるように思われます。すべてがダーウィン主義の証明と強化に収斂してゆく感じです。ダーウィン説に始まり、ダーウィン説の検証に終わるという構成パターンです。そしてこの本も全体としてそのパターンに沿っているように見えます。

という事は、要するに、カンブリア紀の爆発が謎であるというのは、ダーウィン自身がこの問題を謎と考えたことに始まるといわれるように、ダーウィン説にとってカンブリア紀の爆発が謎であったということのようです。一方、何らかの専門分野で何らかの問題が謎とされる状態が非常に長期に及ぶ場合、専門外の一般人にそういう問題の所在が知らされる機会が少ないという傾向があるように思います。恐竜の絶滅や鳥類の祖先、人類の祖先といった問題ほどポピュラーな問題にはならなかったということでしょうか。それを本書の著者による研究で初めてダーウィン説で他の多くの問題と同じように説明できるようになったということのように思われます。

とはいっても現在、他の諸々がダーウィニズムで説明されるのと同様の仕方で同程度に説明されているということで、これがダーウィニズムによる説明そのものをより強固にするとか、ダーウィニズムそのものの理論的な強化ということではないと思います。

以上のようなカンブリア紀の爆発の謎を解くことになる著者の光スイッチ説の根拠の中心となるのがこの時期に多く生物門に眼が発生したという事実で、眼の誕生と進化がカンブリア紀の初期に三葉虫から始まっているという事実が詳しく考察されています。個人的には三葉虫が本来の眼をもつ最初の生物であったということも今回初めて知りました。

以上の、問題の核心となる眼の出現と進化を扱った第七章のタイトル下に、『種の起源』初版からの、次のようなダーウィン自身からの引用が記載されています。
「比類のないしくみをあれほどたくさんそなえている眼が、自然淘汰によって形成されたと考えるのは、正直なところ、あまりに無理があるように思われる。」

カンブリア紀の爆発が謎であるということが、ダーウィン自身がこれを謎と考えたことに始まるのと同様に、眼の出現もダーウィン自身が謎、すなわちダーウィン説で説明できないと考えていたという事は示唆的で、非常に興味深いものがあります。これもカンブリア紀の爆発と同様に、著者がダーウィン説を適用して新たに「眼の誕生」の問題にスポットをあてたと言えるのかも知れません。確かに、自然淘汰説と殆ど同義語のように使われる弱肉強食という事実そのものと視覚との結びつきは強烈とも言えます。その辺のところから、今回の著者の理論には直感的に、非常に説得力があるのは自然なことのように思われます。本書の末尾の方で著者自身が語っていることですが、この光スイッチ説を新聞に掲載されることになった時点で著者が編集長から「ほんとうにこれは新説なんだろうな」と念を押されたことから逆に元気づけられた挿話を語っていることでも著者自身がこのことを強調しているようです。

著者はさらに、眼の進化は自然淘汰で説明できても眼の誕生そのものは、つまり何故この時期に眼が誕生したのかという疑問が残るが、それはこの時期にこの時期の生命環境である海洋中の光の量が増加したことによる可能性を指摘し、それが「光スイッチ説」という名前の由来になっていることを語っています。

以上のようなダーウィニズムによる進化の説明自体や光スイッチ説そのものについて今ここであれこれ考えを巡らしたり、考察できる訳もありませんが、この間の眼の進化過程についての具体的な化石による実例の紹介には非常に興味深いものがあります。また、進化に視覚という感覚一般を進化のメカニズムに取り入れるという事自体も興味深いものがあるように思います。

という次第で今すぐこれらのことから何か新しいアイデアやヒントが得られそうだなどという訳ではありませんが、人間や動物の眼というもの、視覚について考えるうえでも本書は非常に重要な著作の一つであると言えるのではないかと思います。