科学と政治との関係の一面(温暖化問題の扱いにおいて)
先日インターネットの報道番組IWJ INDEPENDENT WEB JOURNALで、鳩山元総理への長時間インタビューを見た。もちろんテーマは科学ではなく政治であるけれども、最後の方でCO2温暖化説が話題になり、元首相の見解が述べられていた。
もちろんこれは政治家に対する政治をテーマとしたインタビューであり、科学上の問題であっても政治との関係で論じられるのは仕方のないことではある。しかし政治との関連の付け方にはいろいろな形があり得る。
インタビュアーの岩上氏は、一般的な一つの論調として、地球温暖化説は原発ルネッサンスという動きに巧妙に利用されてきたのであって、現実に地球は温暖化などしていない、という一説を提起して元首相の見解を引き出そうとしていた。それに対して元総理は「原発ルネッサンス」関連には触れず、友人の専門家から説明を受けているという、北極における氷の減少の問題を例に挙げ、依然として「地球温暖化説」を支持しているように見える。
個人的に「原発ルネッサンス」それ自体についての知識はないが、要するに「原発利権」と考えて差し支えはないだろうと思う。原発利権屋が「地球温暖化問題」を利用してきたが、現実に地球は温暖化などしていない、という議論は現在ではかなり一般的であって、特にジャーナリストなどによく取り上げられる論点であり、今回のインタビューもその典型的なケースである。
しかし、本来「地球温暖化」問題は自然現象の問題である。政治的な文脈であっても、この問題自体は自然科学的に議論すべきではないだろうか。その意味で元首相が友人の専門家による北極の氷云々の議論を持ち出してきたのはその限りでは正当であるといえる。
「地球温暖化」問題自体は「原発利権屋」の思惑とは無関係であり、原発利権屋が利用しようが利用すまいが、正しいことも、間違っていることもあり得る。原発利権屋が本当に「地球温暖化説」を信じて活動していることもあり得るし、間違いであることを知りながら利用していることもあり得るのである。これは「自然エネルギー」派や一部の環境活動家にとっても同様である。
そもそも、「地球温暖化説」― というよりも正確には地球温暖化CO2原因説、あるいはCO2主要原因説と呼ぶべきであるが ― が最初から原発利権屋が案出したとは思えないところがある。やはり最初は科学者の一部から提起され、一般の支持を集めてきたのではないだろうか。それはこの際詮索しても仕方のないことではあるが、地球の温暖化そのものは前世紀の後半には現実に身を以て多くの人に感じられていたのである。
ここで「地球温暖化」と「地球温暖化のCO2主要原因説」とが区別されずに使用されてきたことも問題にすべきことの一つであるといえる。地球温暖化自体は前世紀後半のかなり長期間を通じてまぎれもない事実として多くの人の意識にあったのである。問題はその原因が化石燃料の大量使用によるCO2などの「温室効果ガス」であるか、人為的ではない自然現象、自然のサイクルによるものなのかが問われていたといえる。しかし今世紀になって、データから言っても人々の感覚からいっても、温暖化の進行は止まっている。人々の記憶、特に気候に関する感覚的な記憶というものは結構いい加減であり、実感を忘れやすいものである。同時に世代交代も進み、前世紀の温暖化自体が存在しなかったという論調も通用するようになってきた面もあるように思われる。またCO2原因論者がCO2温暖化説を地球温暖化説と同一視して喧伝してきたという事実もある。
話を戻して、元首相が友人の学者の説明を引用して北極の氷云々という論拠を持ち出してきたのは、この問題を自然科学の問題、つまり自然現象の問題に引き戻したという点で正当ではあるが、CO2温暖化説と地球温暖化説とを同一視するという点では問題のぼかしを行っている。
地球上、各地の気温にしても、北極の氷の状態にしても、科学的データの一部である。無限に集めることのできるデータの、ほんの一部分である。科学であるからには何らかの理論的な説明が必要なはずなのだが、どうもこの問題、温暖化問題の議論ではデータの提示にとどまる場合が多いような印象がある。こういうデータの提示にとどまっている限り、結局は水掛け論に終始してしまうのである。
温暖化問題に関わると思われている理論的な自然科学の分野にもいろいろある。普通は物理学、化学、気象学(地球物理の一部門とされている)、地質学、天文学が関係しているものと一般には考えられているようである。いずれも理論科学ではあるが、その理論の性質はやはりさまざまであり、個性があるともいえる。これらの分野の中で、多岐にわたる分野に関係しているといわれる温暖化問題について、もっとも包括的な理論的説明を与えることができる自然科学分野はどれなのであろうか?という疑問が呈されることは意外と少ない。何となく、基本的に気象学の問題と考えられ、CO2の温室効果については物理学、太陽活動の問題がクローズアップされるようになれば地球物理とか天文学がクローズアップされるといった状況にあるように思われる。
最近は太陽黒点の減少期が続いていることに伴い、スベンスマルク効果が話題になることが多い。これは太陽活動の変化が地球の温暖化につながるメカニズムを理論的に説明した一例であるといえる。しかし、これも同じ「効果」という名前が付けられているCO2の温室効果と同様、一つの「効果」に過ぎない。この効果が実験的に立証されたとしても、そのことだけで温暖化問題の全体が説明されたというこのにはならない。これだけでCO2の温室効果が否定されるわけでもない。
1992年に刊行された根本順吉氏の「世紀末の気象」に、次の一節がある。「太陽活動と気象との関連を論ずることは、その機構にわからぬところが多いので理論家はあまり好まないが、実際にいくらかでもそのデータをとりあつかった人には、未知のことが身の前にちらついているように思われるので、たえざる興味の対象となる。そのため探求はある段階で止まるものの、内外ともこれをあつかった著作が多い。」
スベンスマルク効果もその「機構」を説明する一例のようだが、「世紀末の気象」ではスベンスマルク効果には言及することなく、総合的に地球温暖化の太陽活動主因説を構築しているといえる。そこには太陽活動のデータや大気中CO2濃度の増加を含め、基本的な各種のデータを総合し、海洋を含めた地球表面と大気全体の全システムを総合的、歴史的に説明する理論が打ち立てられているのである。
「世紀末の気象」で展開された理論は太陽活動を含めた地球全体を化学的なシステムとして総合的に説明するものであって、これが自然科学のどの分野に該当するのかといえば、それは地球化学をおいて他にはないというのが筆者の持論である。これについては本ブログの昨年4月の記事「なぜCO2温暖化説否定論に確信がもてるのか」に書いたとおりである。
世界的に、政治家にもジャーナリストにも、もちろん一般人にも、地球温暖化問題の地球化学的な理解が進むことを期待して止まない。