鏡像の意味論 ― その5 ― 用語の意味から考える−その4 「左右逆転(方向軸の逆転)」には三種類がある
意味の逆転と形状の逆転とは互いに無関係
図1:左右の意味的逆転(方向軸の意味的逆転)
前回と前々回、「左右逆転」を「形状の左右逆転」と「左右そのものの逆転」との二通りに解釈でき、それぞれの解釈を説明しました。両者それぞれの解釈が妥当と考えられる二通りの現象(認知現象)があるとすればそれらの現象が互いに関係があるか、別個の現象であるかを明らかにすることは重要なことです。というのも、互いに独立した別個の現象が、同じ「左右逆転」という用語で表現されている可能性が出てくるからです。結論から言って、「形状の左右逆転」と「左右そのものの逆転」とは別個の独立した現象であり、互いに無関係であるといえます。前回記事のとおり「左右そのものの逆転」は「左右の方向軸の逆転」とも言えるので当面、単に「左右軸の逆転」またはさらに左右以外の方向軸にも適用して抽象的に「方向軸の逆転」と呼ぶことにします。
上の二つの絵は「左右そのものの逆転」と「形状の左右ないし上下逆転」とそれぞれ図示したものです。次に説明しますが、上述のとおり、方向軸の逆転と形状の逆転とは独立した現象であって互いに無関係であることが図からもお判りいただけると思います。
方向軸の意味的逆転は意味の逆転であり、対象がヒトの場合は上下や前後の意味するものを取り違えることはあり得ず、事実上、左右逆転すなわち左右の取り違え以外にはありえません。これは認知上の誤りですが、言葉の使用における規則違反ないしは間違いであるともいえます。上の図1はこれを表現したものです。
こちらを向いた人物の右側に相当する方向は、ピアノでは左側であり、人物の左側に相当する側が右側になっています。これは左右の意味上の逆転であり、「左右軸の逆転」と表現してもよいのではないかと思います。さらに、「左右軸が逆転した異なった座標系」を使用して認知しているとも表現できるかもしれません。これはヒトとピアノというまったく別の対象ですが、観察者の方を向いた人物をピアノと同じ左右軸で認知することも往々にしてあるように思われます。しかしそのような認知は間違いであるとみなされるので×印を付けています。
いずれにしてもこのような認知は対象が鏡像であるか否かには関係のないものです。また「逆転している」という場合、ピアノと人物というまったく別の対象間で逆転しているとも言えるし、一人の人物を見る異なった観察者によって逆転しているともいえ、一人の観察者が見るときの心理状態によって逆転するとも言えます。要するにこれは認知上の問題であり、場合によっては鏡映反転現象に関わる可能性があるとしても、それは鏡映反転現象に特有の問題とは言えません。
図2は「形状の逆転」を説明したものです。形状の(左右)逆転そのものについては前々回の記事の図を参照してください。
いずれの像も立体であって、裏返すと背中が見えるものとします。また上下と左右は画面の上下左右ではなく、各人物像に固有の上下と左右を意味するものとします。
これら 4 つの人物像の中で① と ② の関係、および①と④の関係をとってみると、いずれの関係も「上下が逆転している」と言えそうな気がします。しかし②と④では明らかに形状が異なります。②と④のどちらについてもそれぞれを①と比べて「上下が逆転」と表現してしまえば、②と④の違いを区別できず、この意味でも「上下逆転」や「左右逆転」という簡潔な表現に問題があることがわかります。
②と④の違いは、②の場合は像をどのように回転、移動しても①と重ね合わせることができないのに対して、④の場合は像に回転と移動を加えることによって完全に重ね合わせることができる点です。このような場合は幾何学的に同形であるとみなせます。従って形状の逆転が見られるのは①と②の関係であることがわかり、この関係は①と ③、② と④の場合も含めて矢印でつないだすべての関係について適用できます。
第三の左右逆転
図2で、形状の異なる② と④のいずれもが①に対して「上下が逆転」していると表現でき、②の場合は形状が上下で逆転しているとも表現できるのに対し、④は①と同形だとすれば①と④の場合、形状が上下で逆転しているとは言えません。では①と④を比べた場合に何が上下で逆転しているといえばよいのでしょうか。この場合は図1に示した意味的逆転とも明らかに異なります。図1において左右の意味が逆転しているのと同じ意味で上下の意味が逆転しているわけではありません。しかし確かに上下の軸が逆転しているように見えます。また上下の軸が逆転しているとすれば、①と②の関係においても同様です。したがって①と②の関係と①と④の関係に共通して何らかの上下における逆転が生じていることは確かです。この逆転は「意味的逆転」でもなく、「形状の逆転」でもない別種の逆転といえるはずです。
この逆転は②の場合も④の場合も180°回転することによって解消します。ただし、④の場合はこの回転で①と重なりますが、②の場合はこの回転で③と重なり、③を①と比べると形状が左右で逆転していることがわかります。
すでに了解済みと思われますが、①と②とは互いに鏡像関係にあります。それに対して①と④とは互いに鏡像関係ではありません。したがってこの方向軸の逆転は、像が鏡像であるか鏡像でないかには関係がありません。上下軸を持つ形象であれば何にでも適用されるものです。つまり次の図3のように明らかに別人の形象についても言えることなのです。
まずここで明らかになったことの一つは、鏡像問題の対象として取り上げられる左右などの逆転(反転)現象の中には鏡像とは関係のない現象、あるいは必ずしも鏡像のみに関わるものではないもっと一般的な方向軸の逆転が含まれているということです。すなわち、図1で示した意味的逆転とこの図3や、図2の①と④との間に見られる逆転関係です。
この逆転関係を他の逆転関係と明確に区別するにはどう定義すればよいでしょうか?とりあえず異なった二つの人物像の「固有方向軸(間)の逆転」と呼ぶことにします。名前や定義はともかく、この逆転と形状の逆転とを見分ける必要があります。というのも、図2の①と②との関係では、形状の逆転とこの方向軸の逆転とが共存しているからです。
この固有方向軸の逆転のみの場合は図2の①と④や図3で見られるように上下軸だけではなく左右軸も逆転しています。つまりこの場合は前後軸を中心にして像全体を180°回転したとみなせるため、前後軸に垂直な平面すなわちすべての方向軸が同時に逆転しているとみなせます。それに対して形状の逆転が含まれる場合には左右軸の逆転はなく、上下軸だけが逆転しているといえます。それをわかりやすく説明したのが次の図4です。この図は図1の①と②の関係すなわち形状の逆転を取り出したものですが、人物が着ているシャツのしわを表す線の両端に星とリングの形をつけています。真ん中の一対の像で比較してみると、星形とドーナツ形の位置関係は、上下では逆転していますが左右では逆転していません。図の上部のように平行移動してみるとさらにはっきりと、頭と足とが逆転しているのに左右(星とドーナツ形の左右関係)は逆転していないことがわかります。
他方、上下が逆転している対の一方を平行移動ではなく180°回転すると、図4の下側のようになり、上下軸での逆転は解消しますが、左右軸の逆転が生じています。星形とドーナッツ形の位置関係が左右で逆転するからです。
このように、形状の逆転と固有方向軸の逆転とが共存している場合は固有方向軸の180°回転によって逆転を解消することができますが、その場合には必ず別の方向軸で軸方向と形状とが逆転することになります。したがって形状の逆転は必ず一つの方向軸でのみ生じることになります。この逆転する方向軸は必ずしも上下・前後・左右の一つでなければならないわけではなく、どのような方向軸でも生じ得ます。次の図5では左右の人物像それぞれの上下軸から互いに反対方向に35°傾いた軸上、すなわち画面の横軸方向で形状が逆転しています。顔とか足とか、具体的な意味を持つもので形状を表すとわかりづらいと思いますが、シャツのしわを表す曲線図形に着目すると、画面の横軸方向で逆転していることがわかります。
以上の検討から帰納的に次の二つの推測が導かれます。
1) 形状の逆転は必ず一方向でのみ認知される。
2) 形状の逆転が認知される方向は、方向軸が相対的に逆転している方向と一致する。
1) の方は、鏡像問題に関する従来の研究ですでに明らかにされていること、すなわち鏡像と直接像との対は互いに対掌体であり、任意の一軸で互いに逆転した形状になっていると説明される事実に合致します。
2) の方は、これらの図から直観的に読み取れることですが、これらの図ですべての場合が表現されているわけではありません。これまでの図は立体を表すものとして、裏側から見るとまったく別の像に見えるものと想定されてはいるものの、人物像の前後を表す方向軸は全く表現されていません。またこれらの図では観察者の立場にいるのは読者のみです。鏡像問題でよく例として挙げられるのは多くの場合は自己鏡像の場合です。読者とその鏡像との関係を図に表現することは不可能です。
ただ、多くの場合は自己鏡像について言えることだとしても、自己鏡像であるなしに関わらず、多くの場合に鏡像と直接像とを比べて左右が逆転しているものと認知されるとされていることは事実であり、その際に生じている方向軸の逆転方向が左右軸ではないことが多いことも確かです。鏡に対して正面を向いた人物像とそれに対する鏡像との関係でいえば、前後の方向軸が互いに逆転しています。したがってこの場合は方向軸が逆転する方向と形状の逆転が認知される方向とが一致していません。この不一致の原因を考察することが鏡像問題の重要な課題の一つといえるでしょう。
従来理論における混乱の一因
鏡像問題に関する従来理論のいずれも、本稿で明らかにされた(と私が考える)三通りの逆転が明確に区別されていないと思います。前回に触れた吉村氏の理論は鏡像問題を包括的に説明することを試みた最後の理論とも言えますが、そこでもこの三通りの逆転が明確に区別されないことに起因する理解不能な部分が残されているように考えられます。