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ブログ「意味の周辺」の記事を2本追加しました。
何れの記事も当ブログのテーマと重なる内容で、これまでも転載してきましたが、今回はリンクということにしました。
2) 科学哲学について思うこと ― 『科学哲学への招待(野家啓一著)』および『科学哲学(ドミニック・ルクー著)』の読後メモ
最近は、といってももう何年にもなると思いますが、当ブログの方針というか、当初からの構想として実行していたようにBBCニュースやNYタイムズ、そして日本の有名新聞サイトなどの科学記事から興味を引くトピックを見つけ出して何か気になる問題をみつけて記事にするということがなくなりました。いわば息切れで努力が続かなくなったということになりますが、それでもいくらかの成果が少なくとも個人的には得られたことも事実で、いくつかの重要な問題がピックアップされ、多少なりともそれらを追求というか、考究し続けるという形で、散発的にではあれ、このブログをなんとか継続してこられたように思います。とくに鏡像問題に関しては当ブログの後から開設した「意味の周辺」のテーマと重なることから、「意味の周辺」のテーマとしてそちらのブログに引き継がれてしまったように思いますが、それでも発端はこちらのブログにあり、多くは当ブログに転載してきました。
一方の温暖化問題で、諸々の記事を契機に得られた結論は最初の重要な成果であったように思います。当ブログを開始した2007年当時、当時IPCC報告を契機に新聞メディア、特にBBCニュースとNYタイムズで温暖化問題に関する記事が殺到したことがきっかけで、当方が前世紀末に購入しながら読むことを怠っていた、その名も『世紀末の気象(根本潤吉著)』を読了するに至った次第ですが、結局、この前世紀後半に書かれた書物に温暖化の原因についてのほぼ完全な解答が存在することに気付かされたわけです。これをきっかけに改めて大学時代の正統的な地球化学の教科書を再点検してみても、少なくとも人為的CO2発生が原因で地球温暖化が発生したわけではないことは、単なる直感的な受け入れによる受け売りではなく、確たる科学的な確信を基礎に記事を書くことができたものと考えています。
鏡像問題と地球温暖化問題とはずいぶん遠く離れた問題のように見えますが、いずれも科学哲学や科学論、科学社会学、あるいは生物学哲学といった近来の研究分野に関わりが深いことが、いよいよ明らかになってきたように思います。直接的には、鏡像問題の方は認識問題や言葉の問題との関係において、一方、地球温暖化問題の方は地球温暖化の地球科学的な研究そのものよりもむしろ、エコロジー思想や科学社会学の対象自体へと移行して行くことにおいて言えることだと思います。
以上のような次第で、今後も「意味の周辺」との重複やそちらへのリンクだけ、ということが多くなりそうです。しかし、また条件が変われば、あるいは機が熟せば以前のようなスタイルでの記事も作って行きたいとも考えています。