ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

「温室効果」という言葉、科学と言葉の問題

CO2などの地球温暖化に寄与すると考えられているガスのことを普通「温室効果ガス」と呼んでいるが、別に「温暖化ガス」と呼ばれるときもある。英語では「Green house gas」の場合もあり、「Heat trapping gas」の場合もある。最近のニューヨークタイムズの記事ではGreen house よりもHeat trapping の方が多く使われているように感じられる。とにかく日本語では圧倒的に「温室効果ガス」が使われている。

温室効果ガス」という言葉を聞くと、誰でも、無意識的にでも温室そのものをイメージしないわけには行かないだろう。誰でも一度は温室に入った経験はあるだろうし、ビニールハウスも含め、日常よく目にするイメージでもある。実際その中は冬でも暖かいし、多くの植物を栽培しているから湿気もありむっとしている。誰でも温室の目覚しい効果を実感している。しかしこの、現実の温室効果はガラスや透明プラスチックがある種の赤外線を透過させ、ある種の赤外線を遮断するという性質によるものであってCO2とは関係がない。もちろん温室効果というのは単に一度システムに取り込んだ熱を逃さない性質という意味で使われているのであってガラスの性質を言うわけではないが、しかしどうしてもこの言葉を使うと実際の温室をイメージしてしまうことは避けられない。そういうわけで私には、CO2などを温室効果ガスというのは余り適当な表現とは思えない。また「温暖化ガス」の場合も実際にそれが地球温暖化の原因になっているということを前提にしたような名称で、やはり適当だとも思えない。この表現をもっと正確にいうなら、「温暖化寄与ガス」とでも言うべきかと思う。

当たり前だけれども、地球の温暖化という、現実に起きている現象の全体像を自然のまま、ありのままにイメージすることは誰にもできない。森羅万象に通じた最高の科学者にもできないが、それでも人はイメージできるだけの材料からだけでも無意識的にイメージせざるを得ないのだろう。地球温暖化に関する説明を聞かされる場合、当然言葉による説明を受けるわけだが、言葉には論理と同時にイメージがある。論理とイメージを厳密に分けることができるかどうかは別として、論理とイメージがある。同時に、個人の記憶する、また想像する無数のイメージを掻き立てられたり、想起させられたりもする。人はどうしても自分や身近な社会を中心として人類全体の歴史のなかでのイメージを記憶したり、想像したりしてきた。毎日火を使い、エネルギーを消費する生活、有史以来、文明の発達と共に加速度的にエネルギーを消費するようになった人類の歴史に関するイメージが、誰にも蓄えられている。人間の関わらない自然。それは人間の関わる部分よりも遥かに大きいし、無限ともいえるが、それに対して人間が持つことのできたイメージはわずかである。宇宙科学と地球科学によって空間的、時間的な地球と宇宙のイメージがある程度は得られるようになった。宇宙飛行士は月から地球を眺めることができたし、少なくとも写真では誰もが地球全体を見ることができるようになった。もっとも地球儀は古くからあり、ある面ではその写真も地球儀からそれほど隔たってはいないともいえる。いずれにせよそれらもほんの一瞬の、遠くから眺めた姿に過ぎない。ともかく地球の温暖化についても人はイメージという面ではほんのわずかなイメージだけを資源にしているに過ぎないことを思い起こす必要がある。そしてそれらのイメージは言葉によって想起させられる。

とにかく科学においても言葉は単に、意味を定義された記号ではないことを十分に考えてみる必要がある。この点で科学も文学と同じなのだと思う。