ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

アリとミツバチ、昆虫などの行動学

昆虫関連の発見ニュースもかなり頻繁に取上げられているが、アメリカでのミツバチ大量失踪事件以来、その原因に関する調査を含めミツバチの生態に関する発見のニュースが幾つか続いている。日本でも報道されたソースとして「(07/05/02) 米の謎のミツバチ集団失踪、寄生性の病原菌が原因か (a)」http://www.asahi.com/science/update/0502/JJT200705020005.htmlでは病原菌説が紹介されているがニューヨークタイムズの記事「(07/04/24) Bees Vanish, and Scientists Race for Reasons (N)」http://www.nytimes.com/2007/04/24/science/24bees.html?ref=science では色々な可能性の中で農薬の疑いが強まったことが紹介されている。この記事で興味深いのはこの物質はミツバチの脳に作用して、ミツバチの行動に異常を起こさせるという点にある。まとまった死骸が発見されていないことの不思議については「(07/05/15) In Hive or Castle, Duty Without Power (N)」http://www.nytimes.com/2007/05/15/science/15angi.html?ref=science でも触れられている。これによると、過去に病原体が原因で大量死したさいには大量の死骸が巣の中で発見されたことが触れられている。この記事はローヤルゼリーに関する発見をテーマとしたものだが、女王という存在とミツバチの行動についての人間社会に対比したエッセーになっており、昆虫、とくに大まかにはよく知られている話であるがミツバチの社会性について述べている。

ミツバチと似た社会的昆虫として有名なアリの生態に関する発見もまた、BBCニュースに現れた。「(07/05/26) 'Living plugs' smooth ant journey (B)」http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/6692853.stm
これはAnimal Behaviour という雑誌に発表された研究で、兵隊アリの隊列が通る道に穴があいている場合、先頭近くのアリたちがその穴の大きさを測り、相応しい大きさのアリが自らの全身でその穴を塞ぎ、集団全体が能率よく進行できるようにし、集団としての仕事が遂行されるまでその状態を続けるという行動が認められたという発見である。これはそれ自体、昆虫の行動として非常に面白い話である。しかしこれが現在の科学上、どのような意味を持っているかを考えるのは非常に難しい話でもある。どの程度の新しさを持つ発見であるのかも専門家でなければ分らないものだろう。他方、他の分野の専門家にとっては、この分野の専門家にとって新しくはないことでも新しさが見出されるものがあるということもありえる。

ミツバチとは違い、アリは益虫でもなく、また害虫という訳でもない。とはいえもしもアリが絶滅したとしたらやはり、いわゆる生態系に大きな影響を及ぼすのであろうが、ともかく直接人間の利害、有用性との関わりではあまり意味はない。ただ純粋にそれを知るだけで興味深いものがある。しかし自然科学のみならず人文科学も含めて、他の分野の研究との関連で興味を掻き立てられるものもあるに違いない。イソップの「アリとキリギリス」の話にもあるように、文学にも影響を与えてきたアリの生態である。さしあたって最も近い分野、ミツバチ研究との比較でも面白いものがありそうに見える。どちらも社会的昆虫とされていて、昆虫の中では複雑な行動で知られるが、身体の大きさは随分と違っている。行動に直接関係があると思える脳にしてもあの大きさの違いから同じレベルで比較できるものなのだろうかという感慨が起きる。

現代科学の一分野として何かと話題になる脳科学といえば普通は人間の脳の研究が中心であり、他にほ乳類や鳥類の脳に関する話題も時折現れるが、いずれにしても昆虫の脳とは大きも随分違い、構造的にも相当な違いがありそうに想像される。人間の脳研究がそのまま昆虫の脳研究に連続的に繋がっているとも思えない。

例えば人間の脳科学者は「人間の心は脳が作り出している」というような言い方をする。そしてどのようにして脳が「心を作り出している」のを研究するのが問題だという。この場合人間の心についてあれこれ定義したり考えたり研究したりするのには常に言葉によるコミュニケーションが基本にある。

しかし、ミツバチやアリについての今回のような研究では知能に関する点はもちろん、社会性とか個体性といった「心の問題」とでもしか言いようのないような点でも人間、人間社会と同列に比較せざるを得ないような問題が扱われている。こういう事共が人間にも昆虫にも同じ脳科学という分野の研究で統一的に扱えるものなのかどうか、という疑問も生じてくるのである。

昆虫にはまだ脳がある。しかし脳も感覚器官も運動神経もない細菌でも社会的行動としか言いようの無い動きが研究されていることも記憶に新しい。