ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

『気候懐疑主義("Climate skepticism")』という言葉

相変わらず科学ニュースの中での多数を占める生物学方面の興味深い記事をもっと多く読み、考えてみたいと思っているけれども、そうこうしている間にも気候変化関連の記事も更新され続け、その傾向も単に温暖化を示すとされる現象を伝えるのではなく温暖化のメカニズムに関わったものや論争的なものを含んだものになってきている。最近ではBBCニュースで「"Climate skepticism (scepticism)"」というテーマの下に多数の記事が特集されている。その中でも何本かは対立意見のペアーとして公開されている。

"Climate skepticism"という言葉は直訳すれば「気候懐疑主義」となるのだろうか。「気候的懐疑主義」と言ったほうがいいような気もするが、日本語としてはおかしいかもしれない。個人的には、なんとも言葉足らずの荒っぽい造語に思え、当惑するのである。こういう造語は、最近の日本では小泉前首相が「構造改革」とか「骨太の方針」とかいった、見かけ上は普通の熟語に見える言葉とか、一般の名詞に格好の良い形容詞を付けた造語を自分の政策とか方針といった具体的なものの名称として、いわば固有名詞的に使用していた事と共通するように思われる。この種のことはあらゆる方面でよくあることで、避けられないことかも知れないが、いずれにせよ多くの場合、この種の言葉を作り出し、好んで使用する立場の側に有利に働く言葉である事は経緯から言って当然のことだろう。


(07/11/12) Climate scepticism: The top 10 (B) http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/629/629/7074601.stm

この記事はIPCCのコンセンサスに反論する側の論点からトップテン項目を紹介し、それに対するIPCCコンセンサスに同調する科学者側からの反論を一覧にまとめたもので、文責はCompiled with advice from Fred Singer and Gavin Schmidt となっている。これによれば「気候懐疑主義」の懐疑とはIPCCコンセンサスに対する懐疑に他ならない。もっと具体的に絞って言えば温暖化のCO2原因説に対する懐疑である。CO2以外の重要な要素を地球温暖化の主要な原因と見なしている立場からすればIPCCコンセンサス側の方こそを「気候懐疑主義者」と言うことも出来る筈だということである。

この10項目の疑義に対するIPCCコンセンサス側からの反論は、もちろん理解できる範囲内であるが、全体的に表面的で掘り下げが浅いように思われた。その中で一つ、特に気になった項目がある。「懐疑派」の持ち出したデータをただ断定的に否定し、全く異なったデータを提示している個所である。「懐疑派」の主張自体が、生の「懐疑派」の声ではなくて、記者の編集になる文章であることももちろん、このことに関係している。ここで、「懐疑派」はいわゆる温室効果ガスによる効果の98%が水蒸気によるものであることを主張しているが、IPCCコンセンサス側の反論ではそれを誤りであると断定し、温室効果の中、水蒸気が50%を占め、雲が25%、CO2とその他の温室効果ガスが残りの25%を占めるのだといっている。こちらでは雲という、ガスではない要素、しかし水蒸気と同じ成分が別に入ってきていることにも当惑するが、とにかく値に差がありすぎる。ウィキペディア日本語版によるとこの問題は現在次のように書かれている。「現在の気候を維持している温室効果への寄与度を気体別に見ると、水(水蒸気・雲)が90%以上、二酸化炭素が数%とする見方が多い。このほか、水が66〜85%、二酸化炭素が9〜26%、そのほかオゾンなどが7〜8%とする計算結果もある(2007/11/15)」。どちらもCO2の値が明確に書かれていないが、あまりにも差がありすぎる。結局のところ、多くの見解の相違がこのあたりの見積の違いに集約されているのだろうか。この最も重要な、コンピューターモデルに使われている筈の基礎データにこれだけの可能性の幅があるということを知れば、これだけでコンピューターモデルのシミュレーションに対する懐疑派の方に同調せざるを得なくなる。


(07/11/13) The IPCC: As good as it gets (B) http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7082088.stm
(07/11/13) No consensus on IPCC's level of ignorance (B) http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7081331.stm

ペア−となる上記二つの記事は共にIPCCメンバーがIPCC公式見解についての意見を直接述べたもので、両者ともIPCCのシニアメンバーということである。後者はアメリカのProfessor of Atmospheric Science, University of Alabama 前者はCo-chair, IPCC Working Group II と紹介されている。後者はIPCCのシニアメンバーでありながらIPCCのコンセンサス自体にも、コンセンサスを出すための手法、コンピュータモデルを使用するという技術的な面と、合意をまとめ上げるIPCCの体制の面をも含めて真っ向から批判的である。自らを懐疑派と見なしているが、権威とか大勢に対する懐疑という意味で単に"Scepticism"といっており"Climate Sceptcism"という言葉は使っていない。日本でもよく啓蒙活動に熱心な科学者が、疑うことこそが科学的精神の始まりだといって「疑似科学」や「ニセ科学」というような言葉を使いながら、誤った言説などを簡単に信じないようにと人々に警告を発しているが、それと全く同じ事をこの教授はIPCCコンセンサスに対して指摘していると言える。日本でも一部でIPCCの報告に「ニセ科学」とか「疑似科学」といった表現が与えてられているようだけれども、それに似た批判がIPCCメンバー科学者からも出ていることになる。もっとも、ここでもそういう言葉が使われているわけではないし、個人的には疑似科学とかニセ科学といった言葉はまともな用語としては適切な用語とは思わない。

前者、Co-chair, IPCC Working Group II と紹介されている人の記事ではIPCCの理念、組織、手続などを形式的に説明し、経験的に各国政府の介入などは無かったこと、議長の一人として、自分たちも政治的な意図などは完全に排除して作業を行ってきたことなどが淡々と述べられている。要するにIPCCという組織とそのコンセンサスが信頼するに足るものであることを説明しているのみで科学上の問題に具体的に触れることはないが、ただコンピューターモデルが絶対に必要な手法であるということは力説している。

以上の二つの記事における「気候懐疑主義」も始めの記事の例と同じく、すなわち「IPCC見解懐疑派」と言うべきものである。


(07/11/16) Existential risk and democratic peace (B)
(07/11/15) Understanding the climate ostrich (B)
このペアー記事の筆者は前者がイギリスの社会人類学者、後者がアメリカのノルウェー社会心理学者として紹介されている。対立する見解として紹介されているが、この場合の対立軸はカタストロフィズムとそれに対する懐疑派ということになりそうである。前者の記事ではむしろ「悲観主義」対「楽天主義」とでもいうべき図式で巨大隕石の衝突といった人間活動とは100%関係のない問題を含めたカタストロフィーの可能性に関する議論であって、温暖化のメカニズム、要因論とは殆ど関係のない問題が論じられている。こちらが人類というマクロ的な見方で話をしているのに対し後者のほうは集団社会における個人個人の意識を扱っているとでも言えるのだろうか。両者がはっきりした対立軸で論じあっているという訳でもない。ここでの社会心理学的な分析にはそれなりの真実が含まれているのだろうけれども、しかし、それと同時に健全な批判精神が必要であることを見逃しているのではないかと思われた。

興味深いのはこの記事で、一般人における温暖化問題への無関心を説明するために持ち出されているのと同種の社会心理学的なメカニズムが、先のIPCCコンセンサスに批判的なIPCCメンバー、Christy教授によって、IPCC組織内のコンセンサス形成過程の実情に対して適用されていることである。Christy教授が言うには、IPCC科学者も普通の人間であって、集団思考への追随、屈服や集団心理に動かされているところが大きいのだということで、これは十分にありそうなことである。この集団思考groupthink)というのはこれまで知らなかったが、現在、正確には"informational cascade"というそうで、調べてみると日本語では集団思考とか集団的浅慮とか訳されているようだ。

この記事ではこの社会心理的な心理メカニズムのほかに、これまで指摘されてきた説明の一つとして、一般の人々が気候変化に向き合うことを避けてきた理由して人々が十分に正しい情報がもたらされていないからであるという説明を挙げ、それもまた一つの重要な真実ではあると言う。私は今でもこれこそが最も重要なポイントであると思う。特に日本では、マスコミは科学上の問題に関して主体性が無さ過ぎる。マスコミの記者、ジャーナリストはそれぞれ、政治、経済、社会の記事と同様に科学の記事においても自分自身の判断で多方面の情報にあたり、IPCCの公式見解に反するような物も含め、色々な事の真相をもっと伝えるべきだ。基礎物理や基礎化学方面の話題とは異なり、地球科学、環境科学などに属する方面では、専門学者の間でも様々な考え、学説が並存している。現にIPCCのシニアメンバーの大学教授がこのような反対論をBBCニュースで発表しているのである。医学、薬学の方面では、マスコミは少なくとも一部で政府や厚生労働省や、あるいは学会の権威の見解に反するような報道をも普通に行っている。この点で環境科学は特殊な性格を持っているのかもしれない。基礎物理学、基礎化学などと医学薬学などとの中間的な位置にあるといえるのかもしれない。

ニューヨークタイムズでもそうだがBBCニュースでも不公平な取上げ方、枠組みではあるが、ある程度はこのように反対意見も掲載することはしている。大気汚染物質、カーボンはカーボンでもCO2ではなく煤やその他の大気汚染物質の影響が地球温暖化効果においてもCO2の影響よりもずっと大きいという幾つかの研究はニューヨークタイムズでもBBCニュースでも断片的に報道されているが、大勢に取り入れられていない。

さらに、太陽活動に関連する要因に関しては、以前も取上げられていた話題だが、何故か、スベンスマルク効果と言われる宇宙線の影響に関する話題だけが取上げられる。

Sun and global warming: A cosmic connection? http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7092655.stm
これはEnvironment correspondent, BBC News website による記事で、最終的には決着がついていないとしながらも、スベンスマルク効果を否定する格好になっている。この問題は実際に決着がついていないのであろうと思われるけれども、前回の時と同様、この理論を否定することで、温暖化に対する太陽活動の要因の大きさと重要性をを完全に否定したような形になっている。というのも、どうやらここではその他の太陽活動の要因はIPCCのモデルに折込済みと見なされていると見るほかなさそうである。

一連のこれらの記事を読んでみたが、依然としてCO2を温暖化の主要な原因とする説に多少とも傾くということにはならなかった。

個人的には"Climate skepticism"というような言葉は日本語には取り入れられて定着して欲しくないものだと思う。