ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

広義の生物学上の、興味深くまた切実でもある一連のニュース

毎日多彩な発見のニュースが相次ぐ中、一般人ないし素人にとって、切実であると同時に無条件で面白いものはどうしても生物学、生理学や心理学なども含んだ、広い意味での生物学の話題になってしまう。

(08/05/13) Sloth's lazy image 'a myth' (BBCニュース) 
http://news.bbc.co.uk/2/hi/science/nature/7396356.stm

これはナマケモノの睡眠時間が野生状態で測定できるようになり、飼育時に観測されていた16時間を大幅に下回る9時間余りしかなかったというものだ。 ここでは他の野生動物の睡眠時間も紹介されており、キリンは2時間程度でも生き延びていると言われている。 異なった動物における睡眠時間の差を調査する研究の一環で、研究を主導するNiels Rattenborg, of the Max Planck Institute for Ornithology in Starnberg, Germanyが鳥類学の専門家であるというのも意味がありそうだ。 というのも、昨年あたりも、鳥類の睡眠が哺乳類とは大幅に異なるという研究が紹介されていたからだ。 それはシギの一種の野鳥がアラスカから南極圏まで一週間以上、不眠不休で飛び続けたという調査研究であった。 それは一面では鳥類と哺乳類との差を強調するニュースでもあった。 しかし今回のニュースでは哺乳類の間でも、また同一種の個体でも環境によって相当な差があることを示している。 現実に、人間界内部でも睡眠時間には相当の個人差があるし、環境と時期によってもかなりの差がある。 今回の研究が人間の睡眠不調の研究に資するところがあるだろうというのは本当だろう。 それにしても睡眠の研究は脳の研究と同様、興味の核心のところまで迫るのはまだ遠い先の話という感じである。


次に野生動物の減少を警告するニュース、

(08/05/16) Wildlife populations 'plummeting' (BBCニュース) http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/7403989.stm

Zoological Society of Londonの資料によれば、1970年以降、陸上動物が25%、海棲動物が28%、淡水性動物が29%、減少した、というこのニュースは、内容の真実性の程度に関わりなく、あれこれと際限なく多くの事を考えさせられることになる記事である。 

まず、これらの数値自体の意味、妥当性、等々について、どのようにとらえて良いのか、どの程度の確実性のある数値なのかという点で、よほど想像力を働かせてみなければ、この単純な数値が表す現実をイメージすることが難しい。 またこの数値が真実であるとして、種によって非常に異なるライフサイクルで誕生と死滅を繰り返している多様な生物群と、長い地質時代における生物の歴史のなかで1970年以降の数値がどのような意味を持っているか、等々、あまりにも複雑な問題をこれだけの単純な数値で評価できるのかどうか、誰でも戸惑うのではないだろうか。

例えば、ネコ科の野生種は多くが絶滅危惧種に指定されている一方で、飼い猫だけが異常に個体数が増えている事は昨年、イエネコの祖先が遺伝子研究によって判明したニュースでも触れられていた。 また、絶滅が危惧されているトラは飼育環境では相当増えているというニュースがある。 しかしそれにも増して、個体数から言えば、昆虫などは絶滅危惧種を含め、哺乳類よりも遙かに多いに違いない。 そしてイナゴの大群や、エチゼンクラゲの例などのように、短期間に爆発的に発生したりする。 そのようなダイナミックで複雑な動物界総体を感単な統計でとらえ、評価できるものなのかどうか。

そんな漠然とした疑問を抱きながらも記事を続けて読んでいくと、やはり迫ってくる深刻さのようなものものはある。

人間が毎年、環境汚染や農業開発、漁業や狩猟などによって他の動物を1%ずつ消し去って来たというのである。 具体的な調査方法は、科学出版物や各種データベース中の資料から魚類、両棲類、爬虫類、鳥類、および哺乳類から1400種以上を選んでその盛衰を調査したというもので、一種の抜き取り調査の様なものだろう。 抜き取り調査と考えれば、それなりのイメージは得られる。

しかし、

いわゆる特に鳥類や獣類の絶滅危惧種に関するニュース以外に、動物種や個体数の減少の問題では必ずしもなく、直接人間への利害に関わるような、深刻な問題を取り扱った科学ニュースはこの半月程度に限っても沢山ある。 例えば以下の様な内容のものである。

■ 農薬、殺虫剤関連
 ― EUが殺虫剤使用を急激に制限することに対する科学者の反対など。

マラリアデング熱を媒介する蚊の、温暖化が原因と言われる増加

■ 殆ど未知であった新種に近い害虫の異常発生

■ 気味の悪い珍しい生き物の異常発生

■ 益虫やコウモリの減少や絶滅危惧
 ― 特にミツバチやミツバチ系野生種の減少、原因は謎だが、農薬との関連もありそう。

(個々のニュースやそれらへのリンクを掲載していませんが、それらはウェブサイト・発見の「発見」にリストアップしています。)

こういったニュースにはすべて人間の利害にとって切実であるものもあれば、単に不気味だというようなものもある。 同時に、特定動物種の増加に繋がるのか減少に繋がるのかという点でも、まちまちである。

本題の研究は「生物多様性」の観点から、一応人間の利害には関わりなく全ての野生生物の動向を示す目安として、いくらかの種を選んで調査したものと言えるのだろう。 だから当面の、人間にとって切実な、それらによるプラスマイナスは考慮に入っていない。 もちろん、だからといって大ざっぱな考えかたというわけでもない(調査方法や解釈はは大ざっぱかも知れないが)。 この「生物多様性」の問題は、生物の多様性が維持されることが最終的に人類の利益にもなるという発想で説明されるときと、それを超えて、地球は人間のためにだけあるのではないという発想とで説明されるときとがある。 前者が政治的であると言えるとすれば、後者の場合、ここまでくると政治をも超えて宗教になってきているとも言える。


この研究発表は19日からドイツのボンで開かれる生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)の開催を期に発表されたとのことであるが、この会議に関しては毎日新聞サイトの科学欄にも次の様な記事が出ている。

(08/05/19)生物多様性保全、推進を先導…日本の企業9社が署名へ http://mainichi.jp/select/science/news/20080519k0000m040134000c.html

また、この研究はWWFとのパートナーシップによるものとされており、BBCニュース記事の末尾には、

The WWF is calling on governments meeting in Bonn to honour their commitments to put in place effective protected areas for wildlife and to adopt a target to achieve net annual zero deforestation by 2020.

とのコメントが付されている。

この引用箇所をみると、この国際会議におけるWWF世界自然保護基金)の立場は、何か政治組織の上に立つ宗教組織の様な印象を受ける。

WWF の活動根拠は、おそらく「生物多様性」という言葉で要約されるものと思われるが、これは生態学のモットーでもあるのだろう。 エコロジーは今や政治を超えて宗教になっていると言えないこともない。 もちろん科学としてのエコロジーがそのまま宗教になっているという訳ではないが、やはりエコロジーにはそうなる必然性が本質的に備わっているのかもしれないと思えるのである。

別の見方をすれば、科学がかつての宗教の役割を担っているという見方も出来そうである。 エコロジーに関わる部分以外の政治では、むしろそういう見方が相応しいかもしれない。 民主主義の時代では科学的根拠こそが当面の正義の基準になっている。 しかしそうは言うものの、科学を超えた宗教性のようなものが未だに政治には求められる。 天皇制や王政への執着やあこがれは根強く残っている。 但し現在では宗教的な儀式は芸術的なものに置き換わっているとも言える。 オリンピックの開会式などはそうだし、オリンピック自体、政治の上に立つものとしての芸術ないし宗教的なものへのあこがれが基盤にある。

エコロジーに戻ると、既存の宗教、あるいは新しい宗教もがエコロジーの側面を強調して来ている。 もともと大抵の宗教にはエコロジー的側面がある。 あるいは現代のエコロジー的に解釈出来るような部分を含んでいる。 こうしてみると以前の記事で取り上げたように、英米の一部ではキリスト教の神がマザーネイチャーという女神に置き換えられているという説は、確かに相当の説得力を持っている。 日本では神道がこの面の強調で復権しつつあるような様子もある。 一方で科学を信奉する立場からの、宗教に対する警戒心が強まってきている気配もある。 宗教間の対立ももちろん根強いが、科学と宗教との対立も、先鋭化してきているとも言えるように思われる。 そんな中、マザーネイチャーを信奉するかに見えるエコロジーは特異な位置を占めるようになっていると言えないこともないのではないか。


他に、一つ、温暖化問題との関わりで少々気になることがある。 この発表は1970年から2005年までの間に限られ、それが温暖化問題の議論される時期と重なっている。 事実、温暖化を原因とする生物の減少についても強調され、このニュース以外にもマスコミで盛んに報道されているホッキョクグマの話題などのように、特に原因としての温暖化がクローズアップされているが、害虫、益虫をふくめ、温暖化で増加している虫もあるし、常識的に考えて、有史以来多くの動物を絶滅させてきた人類の長い歴史を考えてみれば、この僅か1970年以後の純粋に温暖化のみによる影響がどれほどのものなのか、個人的には疑問に思われる。