科学と宗教的なものが出会う場所としてのエコロジーと環境問題
環境問題とエコロジーとは、いろんな意味で宗教と科学の出会う場所であると思う。出会い方にもいろいろある。闘争の場になったり、一方が他方を従えたり、利用したりということもあるし、もちろん対等な友達になることもある。
もちろんここで宗教と言っても、また科学といっても定義は様々で難しいこと限りがないが、こういうところでは大ざっぱに考えるより仕方が無いだろう。例えば宗教と言っても三大宗教と呼ばれる既成の大宗教から、殆ど個人の信条や直感の様なものまで含まれ得るし、宗教というより神話的とか呪術的とか言われるような考え方、また倫理的なものや、さらには単に感情的な好悪まで含められよう。そのような意味で次のクラゲの増殖に関する記事には興味深いものがある。
(08/08/03) Stinging Tentacles Offer Hint of Oceans’ Decline (N)
これは世界各地で増殖するクラゲの問題を取り扱った記事で、当然、クラゲ一般の生態や毒に関する情報としても興味深い記事である。
この記事では主としてスペインのバルセロナ海岸付近でのクラゲ増殖の問題を、クラゲ研究のエキスパートである Josep-Maria Gili 博士その他の話を中心にまとめている。そのGili 博士の話が面白く、文脈を無視して列挙すれば次の様な発言がある。
○『海岸付近のクラゲは海が人間に対して、「あなた方が如何に私を乱暴に扱ってきたか、見てみなさい」と言っているのです。』
○『海岸における問題は1つの社会問題です。』博士はクラゲの「美」について賛嘆を込めて続けた。『観光業界のためにはクラゲを保護する必要があるでしょう』『しかし重要な問題は沖合で起きていることなのです』
○『クラゲは海のゴキブリです。彼らは海における数々の悪しき環境を生き抜いてきた究極のサバイバーなのです。』
もちろん科学的な説明として以下の様な理由を挙げている。
○マグロやサメなどの肉食魚の乱獲
○温暖化による海水温の上昇
○汚染物質による海岸付近での酸素不足
こういった様々な、個々の考えは、Dili 博士という科学者個人における科学的なものと宗教的なもの、あるいは倫理的なものとの出会いと言っても良いのではないかと思われる。もちろんこれはこの博士に限ったことではない。また、もちろん、エコロジーに限ったことではない。とくに医学ではそもそもの最初から科学と倫理とが結びついたものであるし、最も純粋に科学的と言えるような物理や化学は同時に最も強く技術、経済に結びついた分野でもある。ただエコロジーと環境問題においてはその出会いは新しく、独特の出会い方ではないかと思うのである。当然地球温暖化の問題、CO2による温暖化説の背後では政治経済問題の他にこの問題で複雑な構図が考えられそうである。
いずれにせよ宗教と科学の全面的な対決にはなって欲しくないものである。もちろん個々の、部分的な問題ではそうならざるを得ない部分があるかも知れない。そして一方に傾いた場合に他方を見る眼が曇る場合のある事は認めなければならないことだと思う。宗教的な見方と固執が科学的な判断力を曇らせる場合もあれば、逆に科学性にとらわれることが宗教的な直感、倫理性に対するまなざしを曇らせることがあることも認識する必要があると思う。現在知られているだけの科学的知識にとらわれた常識だけから宗教的な直感に由来するような一切の思想(それが伝統的なものであるにせよ新しい発見であるにせよ)をそれだけを理由で攻撃することなどである。多くの場合科学の側の根拠も宗教的なものと同様に理論的というよりも常識という一種の直感によるものなのだと思う。
どのような優れた宗教、宗教家でも科学へのまなざしが曇ることがあった事は歴史の示す通りであって、過去のガリレオ裁判は有名な例だが、現在でも、キリスト教原理主義では聖書の一字一句をそのまま信じなければならないとして極端な科学批判を行っている。他方、現在ではどちらかというと科学側からの宗教批判が優勢である。とにかく政治が科学をよりどころにしている時代である。しかしそれにもかかわらず、表面に見えないところで、宗教的な直感やあるいはむしろもっと感情的なレベルで科学を見る眼が曇らされていることもあるのではないかとも思われる。もちろん、経済的な利害、欲望が絡んでいることもまた無視できない事だろうが。