ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

多種多様な脳科学記事に対面してかき立てられる興味とわき起こる疑問など

いわゆる脳科学の範疇に入るニュースは常に可成りの頻度で出現している。その研究方法やアプローチは様々で多彩といえるが、一般人にはその意義が分かりかねるのも多い。しかし脳の研究というと誰もが興味を持って当然というところがあり、その意味で一般人が強い興味を持つ対象としてはやはり、同じ難解で近寄り難い分野でもある理論物理や宇宙科学とは一線を画すものだと言える。

例えば意義が分かりづらいものとしては(08/06/10) Brainpower May Lie in Complexity of Synapses (N)
があった。これによると動物を単細胞動物と非脊椎動物脊椎動物の3つに分け、脳細胞のシナプスにあるたんぱく質の種類が段階的に飛躍的に増加しており、それが知能の飛躍的発達と関係があり、知能は脳の大きさのみによるものではないという結論を導き出している。不思議に思える事の1つは、脳の比較になぜ単細胞動物がでてくるのかという事だ。これはしかし、単細胞動物にもそれなりの知能があるという考えであるとすれば面白い。もう一つはたった一つの昆虫を調べただけで非脊椎動物すべてを代表させることが出来るのかという点である。例えば軟体動物という非脊椎動物の存在は誰でも知っている。これも昆虫と同じなのかということ。軟体動物というといかにも下等動物という印象は最近まで誰もが持っていたように思うが、タコの知能がかなり高いという話は最近ではよく聞く話である。つい最近の例でも次のようなニュースがでている。(08/08/15) タコの足6本、実は「手」? えさ探しに活用、利き手も (a)

次のニュース(08/06/16) Scans see 'gay brain differences' (B)

これは左右差など、脳の各部分の大きさを比較した研究であって、同性愛者の脳はこの点で反対の性の人の脳に似ているという研究である。その意味を考えてみると、男女の脳の形態的な違いは、男女の身体的な違いではなくて精神的な性格の違いに対応しているという意味に解釈でき、精度の高い研究であるとすればそれなりに興味深いものがある。

(08/06/13) 'Daydreaming' brain is coma clue (B)
これは脳内の白日夢に関わる部位が「デフォルト・ネットワーク」であり、この部位の活動状態が脳障害時における意識のレベル、脳死の判定の目安になるという議論で、深層心理学との繋がりが出て来そうでもあり、脳死の問題にも関わって来るようでもあり、個人的には非常に興味深く思われた。ただデフォルトネットワークという言葉が適当なのかどうか、よく分からない

ごく最近ではBBCで報道され、日本でも毎日のサイトでワシントン発共同のニュースとして報道された次のようなニュースがある。
(08/08/14) 英国:ラットの脳細胞がロボット制御 研究チーム実験成功 (m)
(08/08/13) Rat-brain robot aids memory study (B)

これはラットの胎児の脳細胞の集まりを取り出して試験管で培養し、神経をロボットにブルートゥースで接続して脳細胞の集まりにロボットの動きの学習をさせる実験に成功したというニュースで、全くすごい事をやっているようにみえる。但しロボットに脳神経を繋ぐのに成功した実験は既に2003年に行われたとの事である。BBCニュースによればこれがアルツハイマーなどのメカニズムの研究に役立つとされている。技術的なこともそうだが、脳細胞あるいは脳神経細胞というべきかも知れないが、その本質に関わる多くの問題を改めて突きつけられることになるのではないか。脳細胞の生命とは何なのか、脳細胞の生命と脳細胞の集合の生命、脳全体の生命、個体(この場合はネズミ)一個の生命とは別のものなのか、切り離されるものなのか、脳死の考えに影響を与えることはないのか、といった諸々の疑問があらためて浮上してくるような気もする。

最後に、次のNYタイムズの記事は、特に発見という訳でもないがNature Reviews Neuroscienceという雑誌に掲載された記事を紹介したもので、脳科学者のグループ(a team of brain scientists )と奇術家のグループの共同研究というか企画のようである。
While a Magician Works, the Mind Does the Tricks

この企画に参加していない科学者のコメントとして、ドイツのMichael Bach博士による「これは素晴らしい成果です」という賞賛の言葉も紹介されている。しかし一般の眼から見ると、最近何かと日本でも批判の多い一般向け脳科学解説記事や本に対してと同種の疑念がわき起こるのである。

端的に言ってこれは従来心理学とされてきた種類のものであって、心理学の対象である心的機能とでも言うものをそのまま言葉の上で「脳」に置き換えただけではないかという感じがする。まず、表題が While a Magician Works, the Mind Does the Tricks となっており、「Mind Does the Tricks」 すなわち「心がトリックを行う」という文が含まれているが、本文ではこれと同種の様々な文がすべてBrain を主語とした文になっている。「心が・・・」というところをそのまま「脳が・・・」という具合である。このことから分かるように、心理学で例えば「知覚」とか「心的機能」とかを主語として記述されるような文章を、ことごとく「脳」を主語とした文章で置き換えただけという印象が強いのである。例えば次のような例がある。
「In imaging studies, neuroscientists have found evidence that the brain suppresses activity in surrounding visual areas when concentrating on a specific task.」
この箇所はこの記事で唯一脳そのものの調査にふれた部分であって、MRIなどの画像の事を言っていると思われるが、「脳が特定の仕事に集中している領域の周辺の活動を抑制している」という表現は、脳が脳自体の活動をコントロールしているということであり、どう考えても脳の生理的な働きを外部からコントロールする何か意志的なものと、臓器としての脳とを同一視していると見なさざるを得ない。特定の仕事に集中するという事自体にも外部からのコントロールというものの存在が考えられる。

その他にも各所で「脳が・・・を構築する」、「脳が・・・を知覚する」、「脳が世界を表象する」、「脳がトリックを使う」、「脳は・・・を意識しない」、といった表現が使われているのであるが、こういった表現(動詞)はすべて心的な能力を表す言葉であって物理的なものでも、あるいは生理学的な作用を表現する言葉ではないし、物理的な表現に書き換えることも分解あるいは還元することも出来ない。

身体的に考えればその人そのものと身体の一部に過ぎない脳とを同一視することはそれ自体が矛盾していると言える。また一個の人格というものと脳という物質的なものを同一視することは、一部の科学者がそれを証明したいと思っている目標に過ぎないのではないか。

要するに同じ事をその人そのもの、人格を主語として記述するのではなく脳という物質的なものを主語として記述することによって心的な機能が物理的あるいは生理的な機能に還元できる事が分かったような気になる、あるいは分かっているように思わせるだけではないかと思われるのである。現実には物質を主語として記述する限り物理的な言葉で表現する必要があり、そうでないとすれば脳を単なる臓器ではなく人格そのものと同一視する事になり、脳を生理学的、物理的な機能を持つもの以上のものとしているのであって、その時点で既に脳を単に物理的な存在ではない事を前提としていることになるのであり、証明されていないことを前提として考察を行っていることになる。あるいはそれを証明したいという事であるならば、それを証明するための手がかりは今の時点では何も得られていないことになる。ただそれを証明したい、あるいは証明出来るはずだという希望を表明しているだけのように見える。

一方、もしもこれがその脳の持ち主、すなわち個としての人格と同一視しているのではないとすればその人の人格とは異なった、また別の人格を脳に与えることになり、人間を一種の二重人格を持つものと見なさざるを得なくなってくる。あるいはそういう可能性もあるかも知れない。しかしそうなれば多くの脳科学者が解明したいと考えている結論とは全く別の方向に進まざるを得なくなるだろう。

(付記)
脳科学の一面に関わる簡単な考察を別のブログ「意味の周辺」にまとめました:情報と信号 ― 脳とコンピューター