医学診断と表情の直感 ― 顔写真の効果
今読んでいる「シンボル形式の哲学(カッシーラー)」によれば、あらゆる認識の基礎に、直感による「表情機能」がある(つい最近になって第三巻の「表情機能と表情世界」の章を読んだばかりだった)。表情のなかでも人の顔の表情はやはり、特別な研究対象なのだろう。以前にも取り上げたカナダにおける日本人、東洋人とヨーロッパ人の比較に関わる心理学の研究も興味深いものだったが、最近ニューヨークタイムズで紹介された次のニュースも興味深いし、技術的な実用上の面でも興味深いものである。
Radiologist Adds a Human Touch: Photos
これによれば、患者に直接会う機会が少なく画像診断を専門とする放射線科の医師が、診断を依頼される画像ファイルに患者の顔写真をつけてもらうことを思いつき、所属するエルサレムの医療機関で実験的に希望する患者の写真を付けて比較試験が実施された。その結果、写真が付けられた場合はそうでない場合に比べ、診断医は遙かに詳細な報告をすることが分かった、という報告がアメリカ、シカゴで行われた放射線学会会議で発表されたことをきっかけに、その医師本人の話や専門家の見解を交えて、肖像写真を付けることの利点が提起されている。
これは私たち素人が話を聞くだけでも、あり得るような、なるほどと思えるような話である。
顔の表情から直接、病気診断のヒントが得られる可能性があるという点だけではなく、顔写真が付けられることによってデータが「パーソナリティー」を帯びることにより、診断する医師の意識というか意欲が積極的なものになるという面が強いようだ。
唯、顔写真ということになると、肖像権とかプライバシーの問題で難しい面があることはこの記事でも触れられている。また、顔写真が付けられることに慣れてしまえば効果は薄くなるのではないかというような懸念も表明されている。個人的にはそんなことは無いのではないかと思うのだが、ただしかし、悪用される可能性は否定できないようにも思われる。
しかし医療以外の方面では顔写真や個人識別のデータ使用はすでに当たり前のことになっている。履歴書や、免許証の類がそうだ。防犯カメラも、至る所につけられている。
難しい話にもどると、表情機能というものは科学的考察のレベルを超えて哲学的次元の問題になる。心理学という科学分野で研究されるべきもののように思われるが、それは人間の顔の表情に限られるし、具体的表情の内容はカッコに入れられたまま、いわばブラックボックスとして扱われるしかない。
やはり医学では科学性だけにこだわることはできないことの1つの現れではないかと思う。