ブログ・発見の発見/科学と言葉 [2006年12月~令和元年まで]

2020年6月22日、本サイトの更新と過去の記事はhttp://yakuruma.blog.fc2.com/ に移転しました。当面、令和元年までの記事が残されています。

以前のタイトル:ブログ・発見の「発見」―科学上の発見から意味を発見―

2007年に本ブログを開始したときは、ウェブサイト上の科学に関するニュース記事(BBCニュース、ニューヨークタイムス、および日本の有名新聞サイト)に関するコメントとして記事を書き始めました。現在、当初のようにニュース記事に限定することなく、一般書籍や筆者自身の記事を含め、本ブログ記事以外の何らかの科学に関わる記事に対するコメント、具体的には感想、紹介、注釈などの記事を書いています。(2019年4月)

真実を覆い隠す道具としても用いられる「科学」 ― 特に温暖化関連ニュースから言えること

前々回に取り上げた読売新聞のニュース「太陽この100年で一番元気なし、黒点見えない日88%」と同じ趣旨の内容が、さらに大げさに拡大したような形でBBCニュースに掲載されている:
'Quiet Sun' baffling astronomers
この記事では(地質学的な記録なども含め)幾つかの専門的な内容が要素として簡単に説明されているが、温暖化問題に繋がる解釈としては、予想通り、次のようなものである。

the Sun peaked at about 1985 and what we are seeing is a continuation of a downward trend (in solar activity) that's been going on for a couple of decades. (太陽活動は1985年にピークに達し、それ以後は20年にわたって低下傾向が続いている)

"If the Sun's dimming were to have a cooling effect, we'd have seen it by now." (太陽活動の低下が気温降下の効果をもたらすのであれば、それはすでに始まっている筈である)

というわけである。結局のところ、色々な(科学的)要因を取り上げるものの、並列的に取り上げるだけであって、システム的に統合して説明という事がない、あるいは統合の仕方があまりにも単純粗雑にすぎるというべきだ。

また「太陽活動だけで説明できるか」という問いから発する場合も、太陽活動だけからはストレートに分かりやすく説明できないとなれば、複雑といわれるメカニズムをそれ以上検討することも放棄してしまい、それでは「太陽活動に加えて何の要因がどの程度加われば説明できるか?」という方向の可能性を検討することもなく、またすでに確立されている太陽活動主要原因説の合理的な説明に一切耳を貸すこともなく、いきなりCO2主要原因説を前提とした説明に飛躍してしまうところが、CO2原因説の論法として共通しているように見受けられる。


一方、ニューヨークタイムズ科学欄では環境問題のブログを書いているキャスターANDREW C. REVKIN氏による次のような記事が出ている:
Industry Ignored Its Scientists on Climate

これは実際には科学記事と言うより、アメリカ国内の訴訟や告発事件をとりあげた内容で、他にも良くある政治記事ではある。ただそこでしきりに科学とか科学者、科学的証拠といった言葉がやりとりされ、政治上でも法律上でも科学の概念、科学というものに対する考え方が重要な要素になっていることがわかるし、何よりも、科学欄の記事として環境問題のキャスターによって、追求するような構えで紹介されている。

過去に石油業界や自動車業界の代弁者として存在したGlobal Climate Coalitionというグループが、顧問的な科学者の報告書の内容を無視、歪曲して利用していたとか、訴訟資料としてしていたとか、それを後から環境主義活動家が告発しているというようなことらしい。真実のところ、あるいはどちらが法的に、あるいは道義的に正しいのかといったことはこの記事だけでは分からないように思われるが、記事の筆者は告発者の側から記事を書いていることは確かである。文脈、センテンスから切り取った表現ではあるが、次のような表現が目立つ:

Industry Ignored Its Scientists on Climate(工業界はお抱え科学者を無視した)

science backing the role of greenhouse gases in global warming could not be refuted(地球温暖化における温室ガスの働きを支持する科学には反駁の余地がない)

“The scientific basis for the Greenhouse Effect and the potential impact of human emissions of greenhouse gases such as CO2 on climate is well established and cannot be denied,” (温室効果の科学的な基礎と、CO2のような温室ガスの人為排出による気候への影響は十分に確立され否定できない)

financial support to groups challenging the science(科学に刃向かうグループへの投資)

とにかくサイエンスという用語を多用し、あらゆる文脈にこのようなお決まりのお題目を挿入する。いわばサイエンスという言葉を盾として使っていると言えよう。

「サイエンス」を盾として使い始めると、相手も同様にそれを盾に使うだろう、その権利は十分にある。そうして政治や法律上の問題は別として、少なくとも科学上の真の論点が何処かに吹き飛ばされてしまうことになりかねない。

前々回の記事
太陽活動のニュース報道なども含め、CO2による地球温暖化論の論理では「科学」が真実を覆い隠す道具になっていると思わざるを得ない。意図的であるなしに関わらずである。科学は少しでも真実に迫るための道具であると同時に真実を覆い隠すことにもなる道具ということができるのではないだろうか。

科学の伝統とか、科学的な後進性といった問題ではないようだ。そういった問題が存在しないわけも無いだろうが、現在の問題は世界文明における科学の抱える問題だと思う。

少なくとも科学性以上に大切なこと、というより問題にすべきは論理性である。法律や政治や、社会問題や、日常のあらゆる問題と同様にそうである。地球温暖化問題は特定の自然科学分野の問題でもないし、特定の社会科学分野の問題でもありえない。そこで環境論とかエコロジーが出てくるのだろうが、端的に言って、現在では「何の問題か」といえば政治問題というしかないのだろう。